健康目的や趣味として、あるいはアイデアを練るために街歩きをしている人は多い。そんな街歩きをより深く楽しむために、社会学者はどのような点に注目するのか。東大名誉教授がその考え方を披露する。本稿は、吉見俊哉著『さらば東大 越境する知識人の半世紀』(集英社新書)を一部抜粋・編集したものです。
目指しているのは
社会学者版「ブラタモリ」
――2020年に刊行された『東京裏返し 社会学的街歩きガイド』(集英社新書)は、2023年の段階で4刷を数えるなど、多くの読者を獲得しています。
すでにさまざまな街歩きの本があるなかで、『東京裏返し』がヒットしたのは、街をいくらでも自由に読めるテクストとして消費せず、また地形や建造物などを動かし難い存在として前提視するのでもなく、その「まち」が「組織されていく」プロセスというか歴史を身体的に体験できる「社会学的街歩き」の試みが、うまく受け入れられたからのようにも思えます。
演劇において身体の動かし方がわからなければ演技ができないように、街をただ歩いていてもわからないことがあると考えれば、『東京裏返し』は先生が読者に提供している脚本のように思えてきます。まさに街歩きのドラマトゥルギー化ではないかと思いますが、先生ご自身はどうお考えでしょうか。
吉見 『東京裏返し』が街歩きのパフォーマーたちへの「脚本」だというご指摘、うれしいですね。そのような受け止め方をしていただいて、まさに「我が意を得たり」という感じがします。
ただ、おそらくこの本を買ってくれた読者の多くは、学問的なパラダイムなど全然前提にしてはおらず、純粋に街歩きが好きという人のはずです。その人たちにとっては、ドラマトゥルギー云々はたぶんどうでもいい。
「都心北部を街歩きしたいのだけれども、どこを歩けばいいのかな」と、純粋にそうしたガイドブック的な関心からこの本を手に取っているのだろうと思います。私自身は、それでまったくいいのであって、この本はまずは社会学者版「ブラタモリ」としての普及を目指しています。
街歩きを豊かにするポイント
表通りと路地裏の時間の複数性
――とはいえ、あとがきに「本書の狙いは、街歩きを通じて都市に対するある考え方を獲得してもらうことにある。それは、この本で私が一貫して話しているように、街歩きを時間論として、都市を時間的存在として理解することである」と書かれたように、この本は単なるガイドブックではなく、〈時間〉という先生の新たな都市論が展開されている1冊と考えられます。