坪田:冒頭から坪田塾を宣伝していただいて、こんなにありがたいことはないなと思います(笑)。

 実は、本のタイトルの一番好きなところが「革命」なんですよ。革命って、主権者が変わることじゃないですか。

 つまりフランス革命では、主権者が王様から国民に変わりました。そういう意味で言うと、大日本帝国憲法から日本国憲法に変わったのも、「革命」なんですよね。

「教える側」が主体の学校教育

坪田:僕がすごくお世話になっていて、「コーチングの権威」と言われている本間正人先生が、教育学を超える「学習学」を提唱されているんですね。今まで教育というのは、教える人たちが主体だったんですよ。

 教科書を使って、教育のカリキュラムがなされていたのは、教える人たちが主体だからです。教えやすいように、学校に近隣の子どもたちをたくさん集めて、1人の先生が何十人、何百人に教える。そこにカリキュラムが作られていたわけですよね。

尾原:日本の寺小屋って、そういうかたちですよね。

坪田:そうです。だから教育って、教えるためのシステムだったんですよ。それは当たり前だけど、本来、主権者は先生じゃなくて生徒なんです。

 学習塾では個別指導といって、1人の先生が3人から4人の生徒を指導しています。「学校みたいなかたちじゃなくて、もっと少人数でやりますよ」ということなんですけど、それにしたって、教える側が主体じゃないですか。

尾原:指導、つまり「指示して導く」ですものね。

坪田:そうなんですよ。子ども別では、「生徒の性格に合わせる」ところが革命だったんです。「自分はこう教えるんだ」じゃなくて、生徒に合わせて指導する。

 例えば、サッカーが好きな子だったらサッカーに例えるし、野球部だったら「野球だとこうじゃない?」と言って、例える。それによって、興味を持つものに対応していきましょうと。

 また、楽天家の子には「もし勉強がめっちゃできるようになったら、女の子にモテモテになるし、就職してからもラクじゃない?」と言います。そうすると、「それいいな」ってなるわけですよね。

 でも親御さんは、「世の中そんなに甘くないんだから、もっとちゃんとがんばれよ」と言いがちです。すると、楽天家だからこそ「うるせぇな」となるわけです。

尾原:確かに。

坪田:でも、実は前者も後者も言っていることはまったく同じです。どちらも「勉強しろ」と言っているんですよ。「このあとすごくラクになるよ」というのも、「勉強しよう」と言っているわけじゃないですか。

 一方、堅実家といって、「石橋を叩いて叩いて渡らない」タイプの子もいるんですよね。その子に、「勉強したら、ここから世の中がすごく楽しくなるよ」と言うと、「世の中そんなに甘くないし、この人は信用ならないな」となり兼ねません。

 なので、その子の性格に合わせて気持ちに寄り添うことが、最も重要です。だけど坪田塾は、「子別」とはいえ、まだまだ指導だったんですよ。

尾原:なるほど。

坪田:もちろん、できるだけ子どもに寄り添いますよ。だけど、教材1つ作るにしても、全員の状況をちゃんと把握して、何ができて何ができないのかを判断するには限界があるんですよ。

尾原:そうですよね。

坪田:中学生くらいだったら、英語の過去形とか過去分詞、例えば「break‐broke‐broken」を覚えるところで引っかかるんですよ。

 そこで、できるだけ一人ひとりに合わせて教材を作ろうとすると限界があるので、僕は初級・中級・上級と、レベルを20くらいに分けたんです。

尾原:階段を細かく20個にするだけでも、その人にとってはハードルが小さくなるわけですよね。

坪田:そうなんです。だから坪田塾では、「坪田先生は一人ひとりに合わせて、しっかり対応してくれる」となっていたんですよ。

伊藤:なるほどね。

坪田:ところがですよ。もう1回言いますね。それでも、指導なんです。