目の前で兄弟同士が殴り合ったり、つねったりひっかいたりし合っていたら、親としてはショックです。けれどこういうときこそ冷静に、落ち着いた声で声をかけることが有効なはずです。冷静にと言われても難しいと思われるでしょうか。ですが、まずは当人たちに大きなケガなどがないこと、そして友達などを巻き込んでいないこと。それさえ確認できれば、まずはひと息。自分の落ち着きを取り戻し、子どもたちもすこし冷静になったところで暴力がダメであることを伝えれば、子どもは聞き入れてくれるはずです。
少なくとも、何も起きていない日常の中で暴力はダメだと伝えるよりも、暴力をふるってしまった心の痛み、そして暴力を受けた身体の痛みが残る中で伝えるほうが100倍くらい説得力があるのではないでしょうか(逆に、取っ組み合いのけんかをしている子どもたちに怒鳴るように伝えた場合、どんなに暴力はダメだと叫んだところで1%も伝わらないと思います)。
「何があっても暴力はいけないし、言葉の暴力もやめてほしい」。このくらい短くストレートに表現するよう心がけています。

西村 琢 著
もう1つ、暴力をともなう兄弟げんかは、子どもへの愛情を普段とは別の形で伝える良い機会であるようにも思います。自分の子どもが傷つけたり傷つけられたりする様子を目の当たりにするつらさ。それをけんかの当事者である子どもたちに切に訴えることは、きっと彼らの心に響くはずです。多少の演技を含めてオーバーに表現するのもありだと思います。あなたを愛している。愛しているあなたが傷つけられるのを見るのはとてもつらい。大切なことは表現を変えつつ、何度も繰り返し伝えていくことだと私は思います。
もちろん我が家でも一通り経験しています。兄弟間でも、友人との間でも。幸いどれもおおごとにはなりませんでしたが、一度、兄弟のけんかで一方が眉間を引っ掻かれ流血し、大きな傷がしばらく残ってしまうようなこともありました。傷は数週間で跡形もなく消えましたが、完治するまでの間、否が応でもその傷は視界に入ってきます。
それ自体が大きな教訓になると思いますし、もしパパがママにこういうけがをさせたら子どもである君たちはどう感じるか。「自分の大切な子どもである君たちが、目の前で傷つけられるのは見たくない」と率直な気持ちを伝えたりもしました。そんな話を何度か繰り返して、事の重大性を時間をかけて伝えていくのが良さそうです。