ただ、私はどうしてもそうしたくなかった。

「球場に行きましょう」

 オリックスの球団代表である井箟重慶さんにそう伝え、一緒にグリーンスタジアムへ向かいました。到着して驚きました。球場はほとんど被害を受けていなかったのです。

 私の腹は決まりました。「今年はここ神戸で試合をやり続ける」と。

 球団の担当者に伝えました。「申し訳ないけれど、その(代替地で試合を開催する)方針は全部ガラッと変えます」と。そして「極端に言えば、お客さまが来なくても仕方がない。スケジュール通り、神戸でやる」と言いました。

 これは「提案」ではありません。オーナーとしての球団に対する「厳命」でした。長いオーナー人生でしたが、このような厳命を出したのはこのとき以外、後にも先にもありません。

「市民球団」を掲げて神戸へと移転してきたのに、災害に見舞われた瞬間によそで試合をするのは、道理に合わない。これからもずっと「逃げた」と思われるだろう。被災地を勇気づけるためにも、たとえ観客ゼロでもやり続けることが大事です――。オーナーとして、球団代表の井箟さんにそう伝えました。

 NPBやパ・リーグとしては、「震災で試合をしません」となってしまうのは困る。だから代替地での開催に協力的でした。

 入場料が最大の収入源である球団が、経営を考えて代替地開催にかじを切るのも正しい判断でしょう。ただ、全体像を見て、中長期的に経営者として下すべき判断は異なります。それが神戸で試合をし続けることだったのです。

 結果的には神戸で開催したことが地元の被災者の皆さんの力になったわけですが、そのときは全くそこまで考えてはいませんでした。「こんな災害があった年に優勝するのは無理だ」という諦めのようなものが私の脳裏にあったのは事実です。

「がんばろうKOBE」
スローガンを掲げパ・リーグ制覇

 未曽有の被害に遭った神戸の人たちを何とか励ましたい。その思いで球団職員たちが一生懸命に考え抜いた結果生まれたのが「がんばろうKOBE」というスローガンです。

 仰木監督とは「とにかくこの1年、しんどいですが頑張りましょう」と話していました。そんな心配をよそに、肩口にこのスローガンを縫い込んだユニホームに身を包んだ選手たちは躍動しました。