しかし、近年のスキャンダルがこれまでと違うのは、不祥事を起こして危機的状況にある人を見て安心するだけにとどまらず、SNSを通じて、匿名で誹謗中傷するという行動にエスカレートしていることです。

 他人からバッシングを受ける気持ちは、想像を絶する苦痛だと思います。誹謗中傷で追い詰められ自ら命を絶つ人もいるなかで、責められる人の気持ちにまで思いが及ばず、さらにおとしめるような行動に出てしまう背景には、深刻な劣等感がはびこっているのではないかと思えてならないのです。

身近な人の不幸に関心を持つ
ようになったら心の危険サイン

 芸能人のスキャンダルは、あくまで「他人の不幸は蜜の味」の代表的な例にすぎません。最も注意しなければいけないのは、職場の同僚や知人など、現実の生活のなかで他人の失敗や不幸に関心をもっている人です。

 身近にいる人に対してさえも、他人の評価を下げることで、相対的に自己評価を高めたいという心理的な欲求が働いているのは非常に危険です。本人が自覚しているとは限りませんが、このケースでも他人の不幸に関心を寄せることで自分自身が抱える劣等感を一時的に忘れようとしているに過ぎないからです。

 あたりまえの話ですが、他人の不幸を見て一時的に劣等感から気を紛らわせられたとしても、自分自身の劣った部分が根本的に解消されるわけではありません。本当に劣っている部分があるならば、克服していくための努力が必要です。ですが、他人の人生や不幸に踊らされているうちは、本質的に変えなければいけない自分自身のことを直視できないため、成長することができなくなります。

 そしてこの蜜の味は劇薬で、刺激に慣れてくるともっと強烈な刺激を求めるようになります。すると、いままでは自然と入ってくる情報に踊らされていただけだったのに、コメントで誹謗中傷するがごとく、誰かを失脚させようと画策するなど、次第に行動がエスカレートしていきます。劣等感を克服し、自尊心を高めるために使うべき時間や労力を奪われる悪循環に陥っていくのです。