大企業の社長や起業家、科学者など、いわゆる社会的に成功した方々にたくさん取材する機会を得てきました。その数は、3000人を超えています。誰もが知る有名な会社の社長も少なくなく、「こんな機会はない」と本来のインタビュー項目になかったこともよく聞かせてもらいました。インタビューで会話が少しこなれてきているところで、こんな質問を投げかけるのです。
「どうして、この会社に入られたのですか?」
数千人、数万人、中には数十万人の従業員を持つ会社の経営者、あるいは企業を渡り歩いて社長になった人となれば、仕事キャリアに成功した人、と言って過言ではないと思います。仕事選び、会社選びに成功した人、とも言えるでしょう。ところが、そんな人たちの「仕事選び、会社選び」は、なんともびっくりするものだったのです。
本記事は、『彼らが成功する前に大切にしていたこと 幸運を引き寄せる働き方』上阪 徹(ダイヤモンド社)より、抜粋してご紹介いたします。
リスクがあるからリターンがある
爆発的な成功では、いわゆる逆張りを発想していた人が少なくありませんでした。当たり前のことですが、周囲の人たちと同じことを考えていて、突き抜けた結果を残すことは難しいでしょう。だから、あえて逆の方向に行ってみる。
逆張りは、みんなが進んでいこうとしている道とは逆の道に進むことですから、リスクもあります。うまくいかなくなる危険も待ち構えている。しかし、リスクがあるから、リターンがあるのです。これは、物事の道理です。
リスクを取らないと、大きなリターンは得られません。大きなリターンを得たいなら、誰もがやっていないこと、やりたがらないことを狙う。これは、一つの考え方です。
ソニーの元CEO、出井伸之さんがまさにその一人です。ソニーへの入社は、まだ本社が木造の社屋だった黎明期の1960年。そして35年後の1995年、57歳にしてまさに世界的企業になっていたソニーの社長に就任します。14人抜きの抜擢と大きな話題になった社長就任でした。
出井さんは大学時代、ヨーロッパ経済を学んでいて、ヨーロッパで伸びそうなメーカーに行こうと決めていました。普通なら、すでにヨーロッパで伸びているメーカーを考えそうなものですが、出井さんは違った。
高校時代にトランジスタという衝撃的な技術を作ったソニーを知り、大学教授をしていた父親のツテで経済研究所の人を紹介してもらい、話を聞きに行ったのです。
専門家の解説は明快でした。社内に人材はいない。経営戦略はアメリカに向いている。出井さんは、これをチャンスだと考えました。大会社よりも小さな会社、人材のいる会社よりもいない会社、ヨーロッパはこれからという会社。
創業者の一人だった盛田昭夫さんは「われわれの会社に、ヨーロッパでやりたいという人が来た」と喜んでくれたそうです。
最初の配属は外国部の輸入部門。海外事業の花形は輸出ですから、ショックな配属だったと言います。しかし、輸出に行っていたら、基礎を学ぶチャンスはなかったと語っていました。輸入だったからこそ、契約や手続きを嫌でも勉強することになったのです。
配属が決まって嫌だな、と思うのは、苦手だからだ、と出井さんは語っていました。だから、嫌な部署に行かされたら、喜んで行かなければいけない。苦手が解決できるからです。
後にいろんな部署を経験する出井さんですが、「嫌だな」とか「傍流だな」と思ったところのほうが、花形の職場で過ごす10年より、ずっと力がついたそうです。
実際、会社の王道を歩んだわけではまったくありませんでした。事業部長に就任した事業も構造不況業種。ところが、そのときの経験を買われ、次から次へと社内の事業再生を担当することになります。
エリート街道ではなかったからこそ、本当の力がついたのです。
ヘッドハンティング会社とは、常にコンタクトを取っていたそうです。自分の市場価値がチェックできるから。そして、どういう条件なら辞めてもいいのかを決めておく。しかし、出井さんは辞めませんでした。ソニーという会社との相性が良かったから。
相性こそ、その会社での結果を大きく左右する、と語っていました。
※本記事は『彼らが成功する前に大切にしていたこと 幸運を引き寄せる働き方』上阪 徹(ダイヤモンド社)より、抜粋して構成したものです。