2005~2007年に雑誌『VERY』で連載されていた『銀の夜』は、雑誌のメインターゲットだったであろう当時の20~30代、すなわち団塊ジュニア世代の娘たちに向けて角田光代が用意した、「母の規範の存在に気づかせる」ための物語だったのかもしれない。

成功していてもいなくても
母は娘に自己実現の規範を与える

『銀の夜』が連載された2000年代の雑誌『VERY』は、「女の現役感を失わないキラキラした専業主婦像へのあこがれ」を表現したと、心理学者の小倉千加子は述べる。白金に住む専業主婦「シロガネーゼ」や芦屋に住む専業主婦「アシヤレーヌ」というキャラクターを誌面に登場させたのもこの雑誌である。

 1980年代以降に進んだ女性の社会進出は、あくまで正社員のためのものであった。1990年代以降に非正規雇用が増えると、男女平等政策の恩恵を受けられない女性たちが生まれた。しかし、正社員の女性たちもまた、育児と仕事の両立という無理難題に圧し潰され、結果として「専業主婦になり、キラキラした母になること」がひとつの憧れとなる。

 まさに「VERY妻」的なキャラクターである麻友美は、主婦になる。そしてその結果、自分が叶えられなかった社会での自己実現の夢を、娘に仮託するのである。

 団塊世代の伊都子の母も、団塊ジュニア世代の麻友美も、自己実現に関する規範を、同じように娘に託す。伊都子の母は自分がうまくいったからこそ、麻友美は自分がうまくいかなかったからこそ、娘に自己実現の規範を与える。

書影『娘が母を殺すには?』(PLANETS/第二次惑星開発委員会)『娘が母を殺すには?』(PLANETS/第二次惑星開発委員会)
三宅香帆 著

 一般に、「母が娘に人生を仮託する」というと、母の自己実現が成功しなかったからだと言われることが多い。母ができなかったことを娘にさせているのだ、と。しかし角田光代は、母が自己実現に成功していようとしていなかろうと、母は娘に自己実現の規範を与えてしまうものなのだと語る。むしろ、自分の人生が成功したからこそ、娘にも同じ人生を歩ませたい、と思う母もいることを、『銀の夜』は描いている。

 母の規範は世代を超えて再生産される。そして伊都子のように、母の規範に気づかないまま大人になる娘は多い。

 だからこそ、「母殺し」(=母から与えられた規範を自ら手放すこと)は必要なのだ。

 娘が母の規範を手放して生きる。抑圧の再生産を止める方法は、それしかない。