このような利己的な遺伝子の見方は、利他行動がなぜ進化するのかを理解しやすくするかもしれない。

 しかし、厳密にどの単位に選択が働いているかを考えると、理解が少し違ってくる。

 利他行動を発現させている遺伝子は、その遺伝子をもつ個体が利他行動をすることで、遺伝子のアレル自体も次世代にコピーを残せなくなり、個体にとっても遺伝子にとっても不利になる。

 有利になっているのは、別の個体がもつ利他行動を発現する遺伝子のアレルだ。そして、血縁選択は、突然変異で利他行動を発現するアレル(遺伝子)が生じ、そのコピーが集団に増えていくプロセスを示している。

 つまり、利他行動を実際に発現させたアレルが選択で有利になったわけではなく、利他行動を発現する遺伝子をもつ個体の集団が増加するのに有利になったと考えることができる。

 具体的な進化のプロセスをよく見てみると、利他行動を発現するアレルをもつ個体の集団に選択が働いたと見るほうが、より適確に現象を捉えているといえるだろう(図表3-6)。

 さらに、実際に遺伝子自身が自らのコピーを残すように進化している「利己的遺伝子」と区別する必要があるという意味からも、利他行動を発現する遺伝子は利己的遺伝子とはいいづらい。

 ところで、現在、ドーキンスの「利己的遺伝子」という言葉は一般の人にも比較的知られているのに対し、「種のための進化は生じない」ことは理解されていないことが多い。

 そのために、「生物が自らの遺伝子を残そうとするのは、種の保存のためだ」という誤解をする人も少なからずいる。「利己的遺伝子」の見方が適切であるかどうかにかかわらず、この表現は全くの誤りである。

 ヒトには「種族維持のための進化」という考えに陥りやすい思考バイアスがあるのかもしれない。