「仕事が遅い部下がいてイライラする」「不本意な異動を命じられた」「かつての部下が上司になってしまった」――経営者、管理職、チームリーダー、アルバイトのバイトリーダーまで、組織を動かす立場の人間は、悩みが尽きない……。そんなときこそ頭がいい人は、「歴史」に解決策を求める。【人】【モノ】【お金】【情報】【目標】【健康】とテーマ別で、歴史上の人物の言葉をベースに、わかりやすく現代ビジネスの諸問題を解決する話題の書『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、島津斉彬など、歴史上の人物26人の「成功と失敗の本質」を説く。「基本ストイックだが、酒だけはやめられなかった……」(上杉謙信)といったリアルな人間性にも迫りつつ、マネジメントに絶対活きる「歴史の教訓」を学ぶ。
※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
上司への軽口が
できる部下を窮地に追い込む
西郷隆盛は、薩摩藩の名君・島津斉彬に見いだされ、「幕藩体制でバラバラになっている日本を1つにまとめて富国強兵すべきだ」という斉彬の教えを直接受けました。そして、斉彬の命令で江戸や京都で多くの著名な一流人に会い、政治工作に関わります。
薩摩という地方から、まさに中央政界へと一気に躍り出たのです。このとき、西郷は20代後半でした。
西郷は傲慢で
上から目線だった?
このような経験は、2018年の大河ドラマ「西郷どん」の“人格者”のイメージとは異なり、西郷を傲慢な人間にしてしまいました。
政治工作や実務では能力が高いものの、斉彬や著名な一流人と交わったことで、若さも手伝って“上から目線”の持ち主となってしまったのです。
その傲慢さが仇となる事件が勃発します。そして、西郷は生死をさまよう痛い目にあうことになったのです。
上役・久光の考えに
賛成できない西郷
斉彬の死後、薩摩藩主は斉彬の弟・島津久光の息子・島津忠義が継いだものの、事実上の最高権力者は久光でした。
久光は、斉彬の遺志を継ぎ、兵を率いて京都・江戸にのぼり、朝廷と幕府の間をとり持つとともに、幕府の改革をしようとしたのです。
しかし西郷は、薩摩から出たことがない久光が京都・江戸に出ても、悪化していた朝廷と幕府の関係を修復することは難しいと考えました。