おわかりでしょうか。みなさんが銀行にお金をあずけて、将来不安におびえながらそのお金を塩づけにするのではなく、税金をはらうかわりに、それを毎年度、毎年度、政府が消費する経済に変えていくべきなんです。

 将来の安心をバネにして消費を刺激し、経済の成長トレンドを引きあげる。公共事業や減税などの《投資先行型経済》を《保障先行型経済》につくりかえるのです。

 図を見てください。私たちは生きていると必ずニーズが発生します。たとえば、生まれたあと、ほったらかしにされて生きのびられる赤ちゃんはいません。だから必ず保育のニーズが生まれます。

 病気にならない人間も、一生、教育や介護が必要ない、自分は障がい者に絶対にならないと断言できる人間もいません。医療、教育、介護、障がい者福祉のニーズは、生きているかぎり、つねに存在しているのです。

 このようなニーズを、働いて、貯金して、将来不安におびえながら自己責任で満たしていく社会を続けていきますか? それとも、みんなで暮らしの会費を出しあって、だれもが不安から自由になれる社会に変えていきますか?

 私たちは、まさに決断のときをむかえているのです。

「山が動いたシンドローム」は終わった

 僕はこれまで消費税の引きあげでお金をあつめ、命と暮らしを保障すべきだ、と言ってきました。わかりやすくするために消費税で説明しましたが、この税だけでお金をあつめる必要はありません。いろんな税の組みあわせでよいのです。

 ですが、この税の組みあわせのなかに消費税を入れた瞬間、左派の人たちからはげしい批判を受けてしまいます。

 日本の左派は消費税に強いアレルギーをもっています。その発端のひとつが1989年平成元年におこなわれた参議院選挙です。消費税の導入をめぐって争われたこの選挙では導入反対をかかげた日本社会党が選挙で圧勝しました。

 そのとき、当時の委員長だった土井たか子さんが有名な言葉をおっしゃいました。知ってますか? 「山が動いた」というフレーズです。それ以降、日本の政治には「山が動いたシンドローム」が生まれてしまいました。

 成功体験ゆえに消費税批判は左派にとっての絶対的正義になりました。自民党は自民党でこのときの失敗体験が尾をひき、消費税を財源とした命と暮らしの保障を論じられなくなりました。おまけに、1997年の消費増税の翌年におこなわれた選挙でも大敗しましたから、このトラウマはいっそう強いものになってしまいました。