この歴史体験は、日本社会にとって幸せなことではありませんでした。ふつうヨーロッパでは、左派こそが日本の消費税にあたる付加価値税を財源として、サービスの充実を訴えてきましたが、日本ではそれが起きなかったのです。

 政治学者の加藤淳子さんは、付加価値税をオイルショックの前に導入できたかどうかで福祉国家の大きさが変わることを明らかにしました。日本の導入は1989年ですから、かなり出遅れてしまったことになります。

 でも、歴史はふたたび動きました。2017年と19年の選挙では消費増税を訴えたほうが勝ち、21年、22年の選挙でも、消費減税を訴えた野党があっさりと破れたのです。平成のはじまりとともに生まれた「山が動いたシンドローム」は、最期のときをむかえたのでした。

なぜ消費税ははずせないのか

 僕の発想はきわめてシンプルです。消費税を軸に、所得税や法人税などのお金持ちや大企業への課税を組みあわせればよい、というものです。

 ここでのポイントは「消費税ははずせない」という点にあります。

 理由は簡単です。消費税はときにステルスタックスと呼ばれるように、目に見えにくく負担感が少ない一方で、多大な税収を生むからです。消費税率を1%引きあげると約2.8兆円の税収増となります。でも、年収1237万円超の所得税率を1%あげても1500億円程度、法人税率を1%あげても5000億円程度の税収しか生まれません。

 僕は消費税を16~20%程度にまであげるべきだ、と言いましたよね。これをほかの税に置きかえると、所得税なら120~180%、法人税なら35~50%程度の引きあげが必要になります。これじゃあ経済は破たんしてしまいます。

 先にもお話ししましたが、企業の内部留保に税金を、という議論もあります。でも、企業全体の現預金の半分以上を保有する中小企業はバタバタたおれるでしょう。もし、大企業に限定して課税するとすれば、わずか数年で金庫が空っぽになってしまいます。

 ようは、消費税を抜きにすると、実現できる政策のスケールがとても小さくなってしまうのです。ケタちがいの税収を生む消費税を選択肢からはずし、富裕層や大企業への課税のみで社会を変えようと言ってもリアリティがありません。

 ですから、僕は消費税を軸に命と暮らしを保障しつつ、貧しい人の負担が相対的に大きくなる消費税とお金持ちへの応分の負担を組みあわせることで、税と税のあいだの公正さを実現していくべきだと考えるのです。