生き物たちは、驚くほど人間に似ている。ネズミは水に濡れた仲間を助けるために出かけるし、アリは女王のためには自爆をいとわないし、ゾウは亡くなった家族の死を悼む。あまりよくない面でいえば、バッタは危機的な飢餓状況になると仲間に襲いかかる…といったように、どこか私たちの姿をみているようだ。
ウォール・ストリート・ジャーナル、ガーディアン、サンデータイムズ、各紙で絶賛されているのが『動物のひみつ』(アシュリー・ウォード著、夏目大訳)だ。シドニー大学の「動物行動学」の教授でアフリカから南極まで世界中を旅する著者が、動物たちのさまざまな生態とその背景にある「社会性」に迫りながら、彼らの知られざる行動、自然の偉大な驚異の数々を紹介する。「オキアミからチンパンジーまで動物たちの多彩で不思議な社会から人間社会の本質を照射する。はっとする発見が随所にある」山極壽一氏(霊長類学者・人類学者)、「アリ、ミツバチ、ゴキブリ(!)から鳥、哺乳類まで、生き物の社会性が活き活きと語られてめちゃくちゃ面白い。……が、人間社会も同じだと気づいてちょっと怖くなる」橘玲氏(作家)と絶賛されている。本稿では、その内容の一部を特別に掲載する。

「クジラ」は恨みを忘れない…「重さ1トン」の硬い“尾びれ”や“胸びれ”で「シャチ」を猛烈に攻撃する納得の理由とは?Photo: Adobe Stock

母クジラの懸命な抵抗

 ザトウクジラが出産の際に熱帯へと移動するのは、生まれた子どもをシャチに食われないようにするためもあると考えられる。

 シャチは世界中に分布しているが、暖かい海域にいるシャチは多くない。つまり、シャチという優れた捕食動物の存在が、ザトウクジラの移動経路を決めている部分もあるということだ。

 子どもを連れた雌のザトウクジラは、陸からなるべく遠く離れず、海岸線沿いに移動していく。

 ただし、仮にシャチが来たとしても、母クジラは無力というわけではない。シャチの攻撃に激しく抵抗して子を守る。時には、子どもを水の中から引き上げて自分の背中にのせることもある。

 だが、シャチの数が増えるにつれ、子どもを守るのは困難になる。

 多数のシャチが協調して一斉に攻撃を仕掛けて来たら、母クジラが断固とした態度で戦っても勝ち目はほとんどないだろう。

クジラは恨みを忘れない

 ザトウクジラの母子に付き添いがいることが多いのは、一つにはやはりこのシャチの脅威があるからだろう。付き添いは通常は雄のクジラである。

 雄が母子のそばにいるのは、シャチから子どもを守るためだけではない。雄の最大の目的は、雌と交尾をすることだからだ。

 だが、それでも雄は子どもを守るのに協力はする。二頭の大人で子どもを挟むこともあるし、雄が子どもを水から引き上げて背中にのせることもある。

 背中にのせれば、シャチは子どもに体当たりすることも、恐ろしい歯で噛みつくこともできない。

 ザトウクジラは、シャチに恨みを抱き、その恨みをずっと覚えているらしい。そう考えないと説明のつかないことがある。

 ザトウクジラはただシャチから身を守るだけでなく、積極的にシャチを攻撃することがあるのだ。

 ロバート・ピットマンらによると、ザトウクジラが狩りの途中のシャチをわざわざ追跡した例がいくつもあるという。しかもシャチの方がザトウクジラよりもはるかに数が多い時もあった。

猛烈な攻撃

 その時、シャチがどのような動物を狩りの標的としていたかはあまり関係ないようだ。アザラシ、アシカ、ザトウクジラをはじめとするクジラ類など、標的は様々だった。

 ともかく、獲物を襲うシャチが発する音をかなりの距離から察知し、シャチに向かって移動していたのだ。

 そして、シャチのいるところまでたどり着くと、なんと、襲われている動物を守るべく、シャチに猛烈な攻撃を加えるのである。

 これは実に驚くべきことだ。たしかにシャチは、大人のザトウクジラに比べればやや小さいが、それでも危険な敵には違いないからだ。

 しかし、ザトウクジラはその強敵にも怯むことなく、尾びれや胸びれといった強力な武器で果敢に攻撃をする。

 どちらも重さは一トンほどもあり、硬いこぶがある。このようにして頻繁に他の動物の狩りを妨害する例は、動物界にはおそらく他に例がないだろう。

 被食動物が逆に捕食動物を攻撃する「モビング行動」はたしかに一部の動物に見られる。

 だが、それはあくまで自分の血縁者や、少なくとも同種の動物を守るための行動である。

 ザトウクジラも自分と同じザトウクジラが標的になっていると勘違いして攻撃している可能性がなくはないが、獲物が別の動物だとわかってからも長く攻撃が続くのだ。

 標的になった動物にとっての利益はもちろん、非常に大きい。だが、ザトウクジラ自身にとってはさして利益になるとは思えない。

 単に強大な敵への恨みを晴らすことが嬉しいのだとしか思えない。

(本原稿は、アシュリー・ウォード著『動物のひみつ』〈夏目大訳〉を編集、抜粋したものです)