生き物たちは、驚くほど人間に似ている。ネズミは水に濡れた仲間を助けるために出かけるし、アリは女王のためには自爆をいとわないし、ゾウは亡くなった家族の死を悼む。あまりよくない面でいえば、バッタは危機的な飢餓状況になると仲間…といったように、どこか私たちの姿をみているようだ。
ウォール・ストリート・ジャーナル、ガーディアン、サンデータイムズ、各紙で絶賛されているのが『動物のひみつ』(アシュリー・ウォード著、夏目大訳)だ。シドニー大学の「動物行動学」の教授でアフリカから南極まで世界中を旅する著者が、動物たちのさまざまな生態とその背景にある「社会性」に迫りながら、彼らの知られざる行動、自然の偉大な驚異の数々を紹介する。「オキアミからチンパンジーまで動物たちの多彩で不思議な社会から人間社会の本質を照射する。はっとする発見が随所にある」山極壽一氏(霊長類学者・人類学者)、「アリ、ミツバチ、ゴキブリ(!)から鳥、哺乳類まで、生き物の社会性が活き活きと語られてめちゃくちゃ面白い。……が、人間社会も同じだと気づいてちょっと怖くなる」橘玲氏(作家)と絶賛されている。本稿では、その内容の一部を特別に掲載する。

獲物に静かに近づき、メスのような歯を脇腹に食い込ませ、皮膚を切り裂き、吹き出た血液を貪るように飲む…「吸血コウモリ」に襲われた動物の悲惨な結末とはPhoto: Adobe Stock

吸血鬼たちは目を覚ます

 トリニダード島北部の熱帯雨林に、一軒の打ち捨てられた廃屋がある。家は時が経つにつれ、次第に自然に征服されていく。

 壁につる植物が巻きつき、若木の枝が伸びてガラスの割れた窓から中へと入り込んでいく。木の根も、もろくなった石の床を突き破る。

 動物たちも、隙を見つけては家の中に侵入する。家の中心の崩れかけた階段の下のかび臭い場所は、人間にとってはあまり好ましいとは言えない動物、吸血コウモリたちの棲み処となる。

 熱帯の暑い昼間には、涼しいその棲み処に身を寄せ合って隠れている。そこでやがて訪れる狩りの時に備えて力を蓄えるのだ。夜のとばりが下りると吸血鬼たちは目を覚ます。日中の断食のおかげで飢えは激しくなっている。

 コウモリたちは翼を広げて森へ出て、血を求めて飛び回るのだ。狙うのは、眠っている哺乳類たちだ。眠っていれば、当然、無防備だからだ。

 獲物はたくさんいる。シカもいれば、ペッカリーもいる。家畜や、不用心な人間も標的になり得る。

傷口から流れ続ける血液

 森の中の開けた場所にヤギがいる。吸血コウモリは、綱でつながれたヤギの上を注意深く飛び回る。ヤギはコウモリの存在に気づかない。かすかな羽音はするはずなのだが、他の色々な音にまぎれてしまっている。

 コウモリはこっそりと地面に降り、ぎこちなく小走りで獲物に近づいていく。メスのような歯をヤギの脇腹に食い込ませる。歯は皮膚を切り裂き、肉にまで達する。そして吹き出てくる血液をコウモリは貪るように飲むのだ。自分の体重の三分の一にもなるほどの量の血を飲む。

 満腹になると、来た時と同じように静かに去って行く。獲物になったヤギは自分が何をされたかまったく気づいていない。しかし、傷口からは、コウモリの唾液に含まれる物質のせいで血液が凝固せず、しばらくは流れ出し続けることになるだろう。

 そうして実りある夜を過ごせたコウモリは、棲み処の廃屋に戻って、摂取した食物の消化を始めることができる。

 しかし、コウモリがそうして食事に成功して戻って来るとは限らない。獲物となる大型の哺乳類は数が少なく、まばらにしか存在しない。

血を分け与える

 また、仮に見つけられたとしても、その多くはコウモリの来襲に備えて警戒をしている。飢えた者に時間はあまりない。わずか三夜、連続で食事に失敗しただけで、餓死してしまうからだ。だが、そこでこのあまり人に好かれない動物は意外な行動を取る。

 同じねぐらを共有するコウモリの中に、食事をできなかった者がいると、満腹のコウモリが助けるのである。

 その姿はまるで、巣の中のひな鳥に餌を与える親鳥のようだ。満腹のコウモリは、自分の飲んだ血の一部を吐き戻して、空腹のコウモリに与える。

 また、別の日には立場が逆になることもある。前に血を与えたコウモリが空腹な時に、血をもらったコウモリが反対に自分の飲んだ血を与えることもあり得るのだ。

集団で支え合う

 野生動物は生存のために互いに競争するはずだが、このコウモリのように仲間で助け合う者もいる。この戦略が、厳しい環境を生き抜く上で有効になることもある。このような協力行動は、「社会的動物」の特徴の一つだ。

 吸血コウモリほどお互いの生存に貢献し合う動物はさすがに多くはないが、集団で生きる動物の多くが、ある程度は互いに協力し合うことも確かだ。

 最も基礎的なレベルの協力は、「社会的緩衝作用」と呼ばれている。これは、オキアミから人間にいたるまで、あらゆる社会的動物が、ただ同種の動物のそばにいて関わり合うことだけで確実に生じる利益のことだ。社会的動物は、単に集団でいるだけで、集団によって支えられるのである。

(本原稿は、アシュリー・ウォード著『動物のひみつ』〈夏目大訳〉を編集、抜粋したものです)