ネット動画やSNSによる情報発信で
もてはやされる若い首長たち

 斎藤知事は若くして総務省を退職して選挙に立候補し、初当選しているが、この十数年は特に、若い首長がもてはやされる時代になっていた。加えてインターネットの動画やSNSを通じた情報発信も当たり前になっているし、そうした首長の動画や書き込みが「バズる」ことも普通になってきた。また、テレビ番組に出て、県政解説のインタビューではなく、コメンテーター的な役割をする知事まで出てきた。

 そうなると、外部から見れば、知事はまるで芸能人のように特別扱いされる人、と見えてしまう場面も出てくるのだろう。若くして首長となった斎藤知事には、そうした勘違いあったのではないか。今回のさまざまな疑惑からはそんなことが見えてくる。

 加えて、県知事は行政機関のトップとは言っても、副知事以下、自分より年齢が上の人はたくさんいる。特に幹部はそうだ。それぞれプライドや性格、癖といったものがある。そうしたことを踏まえて職員を上手に使っていくことが求められる。

 だが、告発文書からは、斎藤知事にはそれが出来ず、人事などを含め、かなり偏った、専制的な対応、運用が横行しているのではないかと思われてならない。

 筆者が総務省在籍時、動きの悪い班員に手を焼き、人事を担当する官房秘書課のキャリア担当の課長補佐(当時)に相談に行ったことがあるが、その時言われたのは「室伏君、君はキャリアなんだから誰でも上手に使わなければダメだよ」というひと言だった。筆者にとっては今でも記憶に残る名言である。

 もちろん時には怒り、叱責することも必要であろう。ただやみくもに怒るのでも怒鳴るのでもなく、相手を見て、丁寧に対応を考えていくことは重要である。ベテラン職員に頼りすぎるのもダメだが、諫言にも耳を傾けることも必要である。

 以前、民間企業の管理職の立場で中途採用の面接をした時に、応募してきた一人に現職の官僚がおり、その人を担当することになったが、面接の中でその人は繰り返し「早く偉くなりたい」と言っていた。

 官僚には偉くなりたい欲というか昇進欲は付きものと言っていいだろう。しかし、昇進することは偉くなることであるとともに、責任が増していくこと、配慮し、考えることが増えていくことである。

 年齢だけの問題ではないかもしれないが、若すぎて経験や知見に乏しければ、こうしたものを引き受けるのは容易ではない。学校や教科書だけで学び、習得できるものでもない。やはり現場における経験が必須である。なんと言っても相手は人間、ナマモノであるから、教科書どおりにいく方がまれであると考えた方がいい。

 教科書や授業だってあらゆるケースを教えているわけではなく、基本となる事項、基礎となる事項を教えているのだから、応用は自ら実践の中で身につけていくしかない。斎藤知事はそうしたことにおいて不足していたのではないか。

 疑惑の真偽に関わらず、決定的に失われた信頼を取り戻すなり再構築するのは並大抵のことではない。斎藤知事は選挙に出るのが少々早すぎたのかもしれない。