マドンナに嫌われ、ズボンからは異臭…サエない中学生が進学校→教員志望を経て芸人になったワケ【笑い飯・哲夫さんインタビュー】笑い飯・哲夫さん(撮影:大森泉)

お笑いコンビ「笑い飯」での活躍にとどまらず、仏教や農業に詳しく、花火解説者など幅広い顔を持つ哲夫さん。特に今、注目を集めているのが、大阪府内で展開する補習塾「寺子屋こやや」を運営する「教育者」としての顔だ。前編となる本記事では、哲夫さん自身の経験を振り返りながら、教育に対するアツい思いを語ってもらった。(コピーライター 橋本未来)

“ニセ漢字”を作っていた少年が、
進学校を目指した中1の「苦い思い出」

――哲夫さんは、奈良県内でも有数の進学校と言われる奈良高校から、関西の難関私大である関西学院大学に進学し卒業されています。やはり、幼い頃から勉強が得意な子どもだったのですか?

 全然、ですよ。小学校6年生の時に、担任の先生から「お前、ほんまもっと勉強せえよ」って言われるぐらいで。あと、近所で通ってた小さな学習塾の先生からも「あんたもっと勉強したら賢くなれんのに」って嘆かれたりね。

――でも、小学校のときから“画数の多い漢字”が好きだったとか?

 あぁ、それはありましたね。小学校1年生の時に、一番画数の多かったのが12画かな。それに、しびれてもうてね。3年生になって、20画の漢字を見つけて、「あ、20画!!」って興奮したりして。それが興じて、“ニセ漢字”っていうのを作ったり。こんなに画数がいっぱいあったら怖いやろうっていう漢字を作って遊んでましたね。

――そうしたお話を聞くと、勉強が好きだったのかなと思うのですが。

 単純に漢字が好きだったんでしょうね。芸人になってからも、“ニセ御朱印”っていう遊びをやってましたから(笑)。後輩の芸人と一緒に居酒屋に筆ペンを持ち込んで、それらしい架空の御朱印を作ってました。

――では、勉強をするようになったのは、中学生から?

 そうなんですよ。小学校6年までサッカーをやっていたんですが、中学校にはサッカー部がなくてね。高校でやるしかないと思って、いろいろ調べてみると、プレースタイルとかユニフォームが格好良かった奈良高校がいいなと。

――高校でサッカーをしたいという理由で、奈良でも有数の進学校を目指したのですか?

 それと、中学校1年生の時に、学年で一番キレイやった女の子に嫌われてね(笑)。中間テストで、僕がええ点数をとってるのを周りに見せびらかしてたのが印象悪かったらしくて。それでもう、残りの中学生活は勉強にかけようって思って。めちゃくちゃ勉強をがんばったんですよ。

マドンナに嫌われ、ズボンからは異臭…サエない中学生が進学校→教員志望を経て芸人になったワケ【笑い飯・哲夫さんインタビュー】笑い飯・哲夫さん(撮影:大森泉)