自分の内面を掘り下げて言語化して
周囲に開示する働き方のしんどさ

テシ 道徳的な言い回しで、「職場では協力し合おう」みたいな話に仕立てなくても、個人の競争を意図しない組織体制を敷くことで、自ずと、「協力するほうが双方ラクだよね」みたいな考えに持っていけるわけですね。組織体制が人の思考や選択を規定している可能性を見抜くとは、ほんと「優秀」だなぁエリコさんて。

 周りに助けを求めたり、周りを助けていると、自分の能力が奪われるかのように感じている人、結構いますもんね。もしかしたらこれまでのエリコさんはそういう思いがあったかもしれないけど、「減るもんじゃない」はおろか、自己の「有能感」の歪みに気づき、他者とつながっていくことを「選ぶ」ことで、より「働くということ」の可能性を拓いた。いやぁあっぱれです。

エ 褒め殺しですねぇ。でも仕事が楽しい、ってかなり恵まれたことですもんね。現に、「この環境が苦しい」と言って辞めていく人だっています。自分のモードを客観視して、適切に自己を選んでいく、ということが難しい人、「相手を『選ぶ』ことこそが、自分の『優秀』さの証左だわ!」と信じ切っている人はやっぱりいます。その発想だと、この会社は地獄のように感じるでしょうね。あくまでこの会社は、って話ですけど。

テシ なるほど。まぁいわば、そのことにも良し悪しはないってことですね。脱・「能力主義」を謳えば即、楽になるってことでもない。非官僚的組織を目指すとは、高度に自己の内面を俯瞰し言語化して、他者と協働していくことでもある。そういう組織と相性が悪い人も当然いる、と。

エ ですね。だから、「最近はティール組織(管理ではなく社員の自律性に委ねられた柔軟な組織形態)だよね!」とか、逆に「能力主義ってダメだよね!」ではなく、双方の特徴を知って、その側面が活かされ得る事業の運営に「選んで」用いること。またその事業で自身の持ち味を発揮しやすいかどうかは、個人の特性と照合して考える必要がある、そういうことかな、と今は思ってます。

 会社という組織も、個人が自身のモードを選ぶのと同じように、人を「選ぶ」のではなくて、自分たちのありたい姿や、それを実現するのに適切な体制や方法を「選ぶ」こと。これに尽きるんじゃないかなぁ。

 まぁほんとに賢い人です。組織開発研究者のようなまとめをしてくれました。事業の内容やフェーズに合わせて、組織運営体制とメンバーの持ち味とが噛み合うよう、調整し続ける。これも立派な「働くということ」の重要な側面というわけです。

書影『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書)『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書)
勅使川原真衣 著