「助けて」「知恵を貸して」への
 抵抗感がなくなっていった

エ でも当時の私が居心地悪く、周りとギスギスしながらやっていたことを振り返ると、自己を確立して、周りと距離をとろう、なんてのはとんだ「失敗」なのだと。個を立てるのではなくて、もっと周りの中に溶けて、境目がなくなるような感じ。自分の腹の中の言語化と、同様に他者の腹の中にもよく耳を澄ませ、ときに突っつき合いながら聞き出し、目を配り……っていうことが、強いて言うなら「仕事力」なんだなって。そういうモードに気づけたのが、曲がりなりにも私のブレイクスルーかと。

テシ 競争ではなく共創、協働を学んだと。今の会社は前職とはそこまで違いますか?

エ まるで違いますよ。最初の会社のときなんかは、変な話、みんなライバルだから、いくらニコニコと協調的にしているようでも、仕事の評価となると、足の引っ張り合いみたいなことが多々ありました。それはそうですよね、「競争」させられる環境下では、足並みなんかそろえていられない。個人単位で生産性を管理されていたら、自分の仕事が終わったら帰らねば「ダメ社員」ですよね?

 でも、この会社は違う。無理やり感のそもそもあるような数字的な指標は一切用いない。自分たちの存在意義に対して、担当者本人がやれるだけのことを最大限やっているか?それだけ。「競争」して上に行く必要もない。

テシ えっ!

エ なんてったって上がない。組織に階層構造がないんですから。

テシ あっ、そうか。

エ フラット組織の意義はここにあります。ってこれほんとはテッシーさんが言うことでは……。

テシ へへ、助かります。

エ 「競争」が必要な構造があったから、人は足を引っ張り合ってしまう。他方でここには、そんなことをするインセンティブすらないわけです。やるべきことは、周りを蹴落として上に行くことではなくて、「自分はこういう思いで、こういうタスクを抱えている。ここまではやれているけど、あとこの部分についてインプットが欲しい」とかって、プロアクティブ(前のめり)に求め合うこと。

 個人の「有能さ」を追い求めると、周りに「助けてー」とか、「知恵を貸してー」と言うのって気が引けますが、この組織体制のもとでは全然苦しいことじゃない。ひとたび自分の中の仕事観が変わって、選ぶべきは自己のモードなんだな、って腹落ちして初めて、仕事が楽しくなりました。