記事では、事件は「短絡的で、自分本位な現代の若者像」を象徴しており、彼らは「他者の立場や痛みへの配慮が決定的に欠けている」という。そして「今の若者には、自分の行動が周りにどんな影響を与えているかを、客観的に省みる訓練が不足している」のではないかと投げかける。ただし、暴行事件というよりも、「音漏れ」や「若者批判」に焦点があたっている。

 こうした報道は、新しいテクノロジーに対する違和感とそれを公共の場で無遠慮に用いる若者への批判、すなわち「新しいテクノロジー≒若者」批判という構図の先駆けのひとつになった。

電車内の足組みはOKだった?
時代によって変化するマナー

 これ以降もイヤホン・ヘッドホンの「音漏れ」は、くりかえしポスターのテーマとなっている。営団地下鉄は、事件をうけて約6000枚のポスターを張り出している。都営地下鉄でも「ボリュームちょっとおさえて音(ね)」というコピーのポスター500枚を各駅に張り出し、5月に増刷している。これらは、傷害事件に発する音漏れ問題に対する「異例のポスター作戦」(『読売新聞』1989年10月17日)であったという。

 また、1950年代初頭のエチケット本で指南されている電車での座り方には、現在と異なるところがある。それは、座るときは膝を開かずに膝を合わせるのがよいが、「足を組むのもよい」とされていることもあった点である。

「最近アメリカの婦人等は必ず足を組んでいますね。あれはなかなかスマートで好い恰好です。それに足の形を細く美しくする為にも非常に良いことなのですから、貴女方もあんまりオテンバにしない程度に工夫して見てください」(横山かほる編『若い女性の手帖』大同出版社、1951年)としている。

 この考え方が当時の主流であったわけではないだろうが、それでも脚組みが「美しいふるまい」として推奨される余地があった。この脚組みは1970年代以降のマナーポスターの時代においては、くりかえし批判されている。

 ただし、たとえば若い女性2人が脚組みをしたイラストに「魅力は魅力、邪魔は邪魔」(1975年10月)、若い女性3人が脚組みをしているポスターに「目を奪う。でも場所も奪ってる」(1979年3月)とキャプションがついているように、脚組みの評価はやや両義的にみえる。