ただし、男性がとりあげられているときはそうした留保はなく、ただの迷惑行為となっている(1977年10月)。1970年代のマナーポスターは脚組みを「迷惑」ととらえつつも、「女性的な美しさ」の表現という感覚が残っていたことがわかる。

静かになればなるほど
小さな音や声が気になる

 1980年代になると、「粋ないなせも、車内じゃ野暮」(1984年8月)というポスターがあるものの、傘と足は「閉じれば美しい」(1985年6月)という表現になり、同時期のほとんどのポスターでただの迷惑行為(1981年5月、1982年9月、1982年10月、1985年3月、1985年10月)として表現されている。

 このように、マナーポスターの掲示を通して、エチケットの時代において許容されることもあったふるまい、あるいは触覚・聴覚に関わる刺激が、より細分化された「迷惑行為」と位置付けられるようになった。さらに、暴力事件などを通してメディアで大々的に報道されるようになれば、多くの人びとがそうした「小さな音」を「大きな問題」として認知するようになる。

 そんなとき、ポスターを見た乗客たちは、自己や他者の行為がそのようなマナー違反になっていないか細かくチェックするようになるだろう。こうしてパーソナルスペースに対する感度、とりわけ聴覚や触覚への刺激に対する感度が上がっていく。静かになればなるほどより小さな音や声が気になるし、人との距離に繊細になればなるほど、ちょっとした接触が気になってくるというループである。