帰国子女と“英語ができる学生”の圧倒的格差、一緒に学ぶと劣等感が芽生えてしまう理由写真はイメージです Photo:PIXTA

中学高校で「英語が得意」だった学生が、大学のEMI実施学部(EMI:English-Medium Instructionの略。人口の大多数の母語が英語ではない国や地域で、英語を使って教科を教えること)へ進学すると、言語能力の壁やカルチャーショックにより、急速に自身の英語力への自信を失ってしまうという。日常的に英語が飛び交う環境で、帰国子女や海外留学生に感じる劣等感、そして学生間で生じる「英語ヒエラルキー」の実態とは。本稿は、佐々木テレサ 福島青史『英語ヒエラルキー グローバル人材教育を受けた学生はなぜ不安なのか』(光文社新書)の一部を抜粋・編集したものです。

帰国子女と英語が得意な学生で
ヒエラルキーは存在する?

 EMI実施学部の日本人卒業生のぞむ、あすか、じゅんは、帰国子女や留学生、自分より英語ができる人と自身を比べ、「自分は英語ができないのだ」と負の自覚をして引け目を感じてしまう。一度、自己承認を壊してしまえば、どんどん自信をなくしていく。以前は英語に自信があった彼らにとって、その落差は相当なものであっただろう。

図表:調査協力者(みずき、のぞむ、あすか、じゅん)の属性同書より転載
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 元田静は、劣等感を「単に他者と比べて自分の弱点を確認するだけでなく、自分の方が劣っているという事実に何らかの主観的価値を加えた感情である」(引用文献:元田静(2005)『第二言語不安の理論と実態』溪水社)と説明している。

 人が社会生活を送っていくには、自身の能力を把握し、自分には何ができるのかを知る必要があり、その自身の能力を把握するために、他者と自己を比較する。そして、その比較には「自分の能力や意見に近い人との比較が最も正確な自己評価につながると考えられ」ているため、「自身と類似した他者」を無意識的に選んでいる。

 この自己評価には、主観的な意見が絡んでおり、「自己認識が統合されていない」または「自尊感情の低い人」は、他者と自身を比較して、自身を「否定的に評価する傾向がある」という。

 EMI実施学部は、同年代かつ趣味嗜好が似通った学生が集まる環境である。10代後半から20代前半にかけて、自己認識が安定していて、自尊感情が高い人はそう多くないはずだ。このような状況で、英語による言語ヒエラルキーが明確に存在していれば、劣等感を抱いてしまうのは無理もないだろう。

 高校までを日本の学校で過ごした彼らが、英語環境での辛さや戸惑い、劣等感などを語る一方で、帰国子女であるみずきは、全く異なった振り返りを語っていた。

みずき:○○(当該学部)に入って正解だと思った。入った後は、もう仲いい友達もすぐにできたし、なんかなんだか似たようなバックグラウンドの人が多かったから、話が合うなみたいな。みんな自立してたし、ちゃんとしてたしね、しっかり自分の考え持ってて素敵だなと。

みずき:幼少期に、やっぱり人格形成期にアメリカに行ってたことで、もうアメリカナイズされた部分はもちろんあると思うのね。だから、やっぱりその、中学校で(日本に)帰ってきたときも、他とは違ってたし、高校に入っても、まあ人とは違うなって思ってたから、大学入って、やっとその「違ってもいい」っていうことを受け入れられた気はした。