直木賞作家・今村翔吾初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)では、教養という視点から歴史小説について語っている。小学5年生で歴史小説と出会い、ひたすら歴史小説を読み込む青春時代を送ってきた著者は、20代までダンス・インストラクターとして活動。30歳のときに一念発起して、埋蔵文化財の発掘調査員をしながら歴史小説家を目指したという異色の作家が、“歴史小説マニア”の視点から、歴史小説という文芸ジャンルについて掘り下げるだけでなく、小説から得られる教養の中身やおすすめの作品まで、さまざまな角度から縦横無尽に語り尽くす。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
繁華街と駅が離れている町
私は2022年5月から9月にかけて、「今村翔吾のまつり旅」という日本一周の旅をしました。私がその旅の最中に気づいたのは、繁華街と駅が異常なくらい離れている町があるということです。
多くの町では、鉄道の駅からタクシーでワンメーター、もしくは歩いて行ける距離に繁華街があります。少々離れたとしても、横浜(中心となる駅)から元町・中華街(繁華街)のように鉄道で二駅分くらいのイメージです。
でも、そんなイメージを覆す町が、いくつかあったのです。
なぜ繁華街から
駅が離れているのか?
最初に意識したのは山口県の下関を訪れたときでした。繁華街の飲み屋さんに向かう途中で、「どうしてこんなに駅から離れているんだろう」と思いました。
そして、次に気づいたのが青森県の八戸でした。八戸駅から繁華街までは実に7キロ近くもあります。ちなみに東京~品川間のJR営業距離は6.8キロですから、それよりも離れています。
自分なりにそうなった理由を考え、地元の人と答え合わせをしたら、これが正解でした。
新たなインフラへの反発心
要するに、下関や八戸に共通するのは、鉄道の駅が開通するよりも先に、港を中心に栄えた町であるということです。港を中心に町が形成され、その後で鉄道の駅ができているのです。
こういった町では、鉄道というインフラが登場したときにも反発心が強く、結果的に離れた場所に駅が設置されがちだったそうです。
滋賀県でも似たような現象が、彦根市で起こっています。彦根市の中心部は琵琶湖に面した彦根城の旧城下町にあたり、内陸のJR彦根駅からは離れています。これは琵琶湖で水運が発達し、明治期まで物流の中心であったからに他なりません。
旅先で町の歴史に注目する
旅先で町の歴史に注目すると、たくさんの学びがあります。もちろん、小説にも日本の地形や地理は描かれています。
日本では長らく、海が物流の中心でした。戦国時代の日本の海賊を描いた『海狼伝』(白石一郎 著)などの作品からは、日本における海の重要性を深く学ぶことができます。
白石一郎先生自身が海洋小説をたくさん手がけており、小西行長を主人公とする『海将』は、海によって立身出世した偉人の物語といえます。
日本人と海
また、『菜の花の沖』(司馬遼太郎 著)は、江戸時代の廻船商人・高田屋嘉兵衛が主人公であり、日本人が海をいかに重要視していたかがよくわかります。
一方、江戸時代には、海運に携わる人たちが海外に漂流する事例も頻発したため、日本人は海に恐れを抱いていました。ちなみに日本に初めて海水浴という文化を紹介したのは、幕府将軍侍医であった松本良順であるとされています。
良順が海水浴の医療効果を説いたことにより、神奈川県の大磯に海水浴場が開かれ、海水浴という文化が一般にも広まったのです。松本良順を描いたものには、『暁の旅人』(吉村昭 著)などがあります。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。