「観戦者は不満を漏らせないのか」
誹謗中傷と批判の違いとは
誹謗中傷への監視の目が強化される中、別の議論も持ち上がりつつある。「“誹謗中傷を取り締まる”という名目で実質的な言論弾圧が行われはしないか」「スポーツ観戦者は一言も不満を漏らせないのか」「誹謗中傷と批判の違いは何なのか」などである。
どれもしかと考えられるべき難しい問題だが、現時点で問題視されている“誹謗中傷”の特徴は総じて、「選手やチームに対する害意を帯びていて」「SNSという公共の場(場合によってはダイレクトメール)で行われている」という点である。当面は双方を満たす投稿を“誹謗中傷”と設定し、社会の理解を深めていくのが賢明であろう。
応援している選手やチームが失敗すればガッカリすることもあるのは、ファン心理を考えれば当然である。「ガッカリする自由」がファンには備わっているし、腹を立てる自由もあるし、その気持ちを誰かと話し合う自由もある。しかし、相手を侵害する前提で行われる自由は、自由ではなくただの暴力である。
多くのプロ選手はスポンサー契約を結んでいる以上、究極的には人気商売だから、「ある程度はファンの気持ちにも向き合ってほしい」というファンの要求にも道理はある。しかしその「ファンの気持ち」が誹謗中傷の類に属するなら、プロがそれと向き合わねばならない義理はさらさらないと筆者は思う。全てのメッセージは人として最低限の礼節をわきまえてから発せられるべきだからである。
足もとで、ネットリテラシーの至らない部分が五輪を通じて全世界で表面化した。誹謗中傷への個人の理解と、各種対策の効果がより高まっていくことを期待したい。