世の中には「ほんの些細なことに悩み続ける人」がいる一方で、「5億円の借金をしていても悩まない人」もいる。この違いは何だろう?
本連載では、ビジネスパーソンから経営者まで数多くの相談を受けている“悩み「解消」のスペシャリスト”、北の達人コーポレーション社長・木下勝寿氏が、悩まない人になるコツを紹介する。
いま「現実のビジネス現場において“根拠なきポジティブ”はただの現実逃避、“鋼のメンタル”とはただの鈍感人間。ビジネス現場での悩み解消法は『思考アルゴリズム』だ」と言い切る木下氏の最新刊『「悩まない人」の考え方 ── 1日1つインストールする一生悩まない最強スキル30』が話題となっている。本稿では、「出来事、仕事、他者の悩みの9割を消し去るスーパー思考フォーマット」という本書から一部を抜粋・編集してお届けする。

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ダウンジャケットにコーヒーがボタボタと

 映画館に入ったときのこと──。若いカップルが私の隣の席に座った。

 上映が始まる前、飲み物を手に持った男性が恋人と話すのに夢中になっている。

 ふと見ると、彼の手にあるコーヒーカップが斜めになっており、中身のコーヒーがボタボタと私のダウンジャケットにこぼれていた。それでも彼は一向に気づく気配がなく、横を向いてしゃべっている。

 私は仕方なく彼の腕をポンポンと叩き、「そのコーヒーがちょっと服にかかっているんですが」と注意した(正直、「ちょっと」というレベルではなかったが)。

 しかし、その男性は「はあ……どうも」と肩をすくめた程度。暗がりだったのでこちらの被害にピンときていない様子のまま、また彼女と話し込み始めた。

 正直なところ、このときばかりはかなり腹が立った。

 わざとではないにしても、「すみませんでした」のひとことくらいあってもよさそうではないか。しかも、汚されたのは20万円くらいするダウンジャケットで、けっこう気に入っていた。

 そうこうするうちに映画が始まってしまったので、「(帰りがけに声をかけて、クリーニング代を請求してやろうかな……)」と考えた。

 こんなとき、あなたならどうするだろう?

 先に結末を言っておくと、このときの私は何もしなかった。
 映画を最後まで楽しんだ後、汚れたダウンジャケットのまま、黙って映画館を出たのである。

 なぜそうしたのかは後ほど話そう。

悩んでいるのは「だれのせい」?

 悩みやすい人に共通している思い込みがある。

「自分の“外部にある状況”から悩みが生まれる」という考え方だ。

 外部にある状況とは、「他人との人間関係」や「自分を取り巻く環境」などだ。

 これらは世界の中で生まれたニュートラルな出来事にすぎない。だから、これだけでは悩みは成立しない。悩みが生まれるためには「それ以外の何か」が必要だ。

 では、いったい何が悩みを生み出しているのか?

 それはほかでもなく「自分自身」である。
 人が事実を「悩むべきこと」として受け取ったときに初めて、そこに悩みが生まれる(これを私は事実の「感情化」と呼んでいる)。
 目の前の状況を「悩むべきこと」として解釈しなければ、そもそも悩みは生まれないのである。

外部と内部」「出来事と解釈」「事実と感情」──こうした2つの切り分けができていないとき、人は悩みに陥りやすくなる。

 なぜなら不快な出来事が起こったとき、つい「外部・出来事・事実」のほうを手直ししようとしてしまうからである。

 しかし、これらを変えるにはかなりのエネルギーが必要になるし、多くの場合は至難の業(というか不可能)だ。

 だから人は延々と悩み続けることになる。

「逃げるが勝ち」は部分的には正しい

 たとえば、職場の人から嫌がらせを受けているとしよう。

 このとき、悩みやすい人は「どうすれば相手がやめてくれるだろう?」と考える。
 つまり、悩みの原因が「相手」にあると思っているので、その人をどうやって動かすかを考えてしまう。

 しかし、このやり方ではうまくいかない可能性が高い。
 なにせ相手は嫌がらせをしてくるような人だ。
 こちらがどうこうできないくらいあなたとは考えが合わない可能性が高い。
 下手に関与しだすと、余計にエスカレートする可能性もある。

「悩まない人」は、「外部・出来事・事実」にはタッチしない

 あくまでも「他者」ではなく「自分」に焦点を置く。
 どのように「自分」を変えれば、悩まずにすむかを考えるのである。

 このとき、対処法は大きく2つある。

 いちばんシンプルなのは、自分の「場所」を変えることだろう。
 つまり、不快な人・環境が離れていってくれることを祈るのではなく、自ら動いてそこから距離を取るのである。

 これによってたいていの悩みは解消する。

 しかしながら、この方法は完璧ではない。
 嫌な人から距離を取っても、向こうから近づいてくるかもしれないからだ。

 また、自分が不治の病にかかっていれば、病気からは距離を取りようがない。牢獄から抜け出したくても、物理的にその場に縛りつけられていれば、その状況はどうしようもない。

「心の中」をコントロールできるのは「自分」だけ

 だから「場所」を変えるより確実なのは、「内部・解釈・感情」そのものを変えてしまうことだ。
 つまり、目の前の事実を「不快なこと」として受け取るのをやめるのである。

 実際、真の意味で「悩まない人」は、不快な事実に出くわしたとき、8〜9割、このやり方で対処している。
 彼らは悩みが「外部・出来事・事実」ではなく「内部・解釈・感情」から生まれることをよく知っているからだ。

 たとえば、「5億円の借金」というのは単なる事実にすぎない。
 だから、それを「悩ましい状況」だと解釈しなければ、悩みは生まれないのである。

 その究極形ともいうべきは、精神科医・心理学者であるヴィクトール・フランクル(1905〜1997)のエピソードだろう。

 ユダヤ人のフランクルは、第二次世界大戦下でナチス・ドイツによって強制収容所に送られ、そこで過酷な扱いを受けていた。

 しかし、その中で彼は「たとえ物理的な自由は奪えても、精神的な自由は誰にも奪うことができない」と気づいたという。

「強制収容所に閉じ込められている」という状況は変えられない。

 しかし、その状況をどう受け取るかは、フランクル自身の自由である。
 いや、むしろ、彼にしか決められないと言っていい。

「外部で起きていること」と「心の内部」は、決してイコールである必要はない。外部状況の悲惨さはどうにもならなくても、自分自身の思考や感情はいくらでもコントロールできると彼は気づいたのだ。

 彼は、人間の生存にとって最も重要なのは未来への希望だと考え、過酷な環境下でも希望を持ち続けた。

 そして奇跡的にここから生還を果たした。彼がホロコーストを生き延びることができたのは、単なる幸運以上に、絶体絶命の状況でも希望を失わなかったからだ。

 もちろん、フランクルの体験はかなり極端な例である。

 しかし、不快な事実の8〜9割は、こちらの受け取り方を変えれば、なんとかなってしまう。要するに、「自分が気にしなければなんともない」というケースがほとんどなのだ。

悩む人は「悩みやすい問い」を立てる

 日常生活において例外といえるのは、それを放置したときに「物理的な危険がある場合」「周囲に迷惑がかかる場合」「自分の社会的評価が落ちる場合」くらいだろう。

 たとえば、電車の同じ車両に刃物を振り回している人がいたとき、「気にしなければなんともない」とは言っていられない。さっさと逃げ出し、警察に対処してもらうべきだ。

 しかし、こうした例外的なケースは、かなり限られている。
 たいていは「内部・解釈・感情」を変えるだけで、ゼロ秒で対処できる。

 先述の職場で嫌がらせをしてくる人に関しても、実際にその嫌がらせによってどのくらい実害があるか考えてみよう。

 もし、実害がなく、「嫌だな」という感情が発生しているだけなら、「こういう人もいるよね」と思っておけばいいだけの話だ。

「自分」に焦点を置くメリットは、「次の一手」がはっきりすることだ。
 他人を変えようとすると、時間がかかるし、いずれは必ず行き詰まる。この膠着状態が悩みの元凶となる。

 しかし、「内部・解釈・感情」を変えるだけなら、いますぐ実践できる。
 やるべきことがはっきりしているので、悩みが生まれようがないのだ。

・悩みは「外部」ではなく「内部」から生まれる
・悩みは「出来事」ではなく「解釈」から生まれる
・悩みは「事実」ではなく「感情」から生まれる

 だからこそ、何か嫌な出来事があったときには、「事態をどう変えようか?」と考えてはいけない。あくまでも「自分はどう変わるべきか?」という問いを「選ぶ」べきだ。

 悩まないために必要なのは「悩みを生み出すような問い=事態をどう変えようか?」を捨て、「自分」に焦点を置くことだ。

一人で「不快な事実」を見つめ続けていないか?

 再び、冒頭の映画館のエピソードの続き──。
 お気に入りのダウンジャケットを汚され腹を立てていた私だが、映画が始まると同時に急速に怒りは収まっていった。

 横目で観察すると、コーヒーをこぼしたのは、20歳くらいの男性だった。
 クリーニング代を請求するならおそらく2万〜3万円。若い人にはバカにならない金額だ。私がそんなことを言い出せば、デートを楽しんでいた彼は一気に絶望の底に突き落とされるだろう。

 映画館は薄暗い。彼にはこちらの汚れがしっかり見えなかったのかもしれない。それに、まだこれくらいの年齢だと、ミスをしてもきちんと頭を下げられないものなのだろうか。

 だとすると、小さな子どもやペットに服を汚されたのと変わらない。クリーニング代を請求するのは大人げないような気がしてきた。

「失礼な若者に飲み物をこぼされ、おまけに謝罪も補償も得られない」という出来事は変えられない。私だけがその出来事を「感情化」して苛立っている。

 その若いカップルはもちろん、まわりのお客さんたちも、私のそんな気持ちに気づくことなく、スクリーンを観ながら映画を楽しもうとしている。その中でただ一人、私だけが自分の心のスクリーンに映った「腹立たしい出来事」を見つめ、勝手に怒りの感情を生み出そうとしている。

 だとすると、この状況を「腹立たしい出来事」として受け取るのをやめたほうが手っ取り早い──。

 このような思考プロセスが私の中で瞬時に立ち上がり、怒りの感情を処理してくれた。

 その間、わずか10秒ほど──。おかげで私も映画を楽しむことができた。

「信じられない……」「絶対に向こうが悪い!」「クリーニング代を請求するなり、しっかり謝罪をさせるなりすべきだ!」と言う人もいるだろう。

 しかし、まさにそうした思考グセこそが、悩みを生み出す元凶なのである。
 悩む人ほど「起きている事実」を変えようとする。だから他人に補償や謝罪を求めてしまう。

 しかし、若者がきちんとお金を払えるかはわからないし、ひょっとすると逆ギレしてくる可能性すらある。そうなれば、いっそう悩みのタネが増えるだけだ。

 悩まないためには、焦点を「自分の外」に置いてはいけない。「起きている事実」は変わらないのだから、「それをどう受け取るか」を変えればいい。
 悩みは「他者や世の中」からは生まれない。

 悩みを生み出すのは常に「自分自身」。

 だから悩まないためには、自分を変えるのが“いちばん手っ取り早い”のである。

(本稿は『「悩まない人」の考え方──1日1つインストールする一生悩まない最強スキル30』の一部を抜粋・編集したものです)