大手通信会社、中央官庁(行政の縦割り)のみならず、構想の中には具体的に触れられていないが、菅は、農協や漁協と真っ向から対立してきた。これも世間に知られていないが、菅は官房長官就任直後から「農業改革をやりたいんだよね」とよく口にしていた。

「農業・水産業改革」である。自民党の長年のスポンサーである農協、漁協を敵に回して、60年ぶりという「農協の解体的見直し」、「漁業権の制限」をなし遂げている。

 こうした「国民目線」のあり方について、菅に直接尋ねてみようと思った。官邸に10年近くいた人間が、なぜゆえに「国民の立場」から政策を考えることができるのか。官邸は魔物が棲んでいるところで、完全な権力亡者になりやすい。「どうして国民目線を維持できるんですかね」との問いに対して、菅の答えが振るっていた。

「わかんねえ(笑)」

思想なく「国民にとっての当たり前」を
追求し続けた果てには何が残るのか?

 そんな「国民にとって当たり前なこと」を政治課題とした、仕事師内閣もコロナには勝てなかった。安倍政権もコロナ対策で追い詰められたように、菅政権も東京五輪開催をめぐるドタバタ、何より感染者数の急増大の前に、政権のちからを削がれていった。

 コロナ対策を次々と繰り出すものの、国民に対して丁寧に説明することがうまく出来なかった。元来、口下手ではあるものの、それが言い訳にならない局面を迎えた。21年9月3日、菅は、次期総裁選への出馬を断念する。10月4日に内閣総辞職。菅政権は384日で終わった。

 総理在任中に菅と会った際に、こう尋ねてみた。

「竹下総理は、夜中に針が落ちた音でも目が覚めると言っておられました。官房長官から総理になられて、何がいちばん違いますか」

菅義偉はなぜ「権力亡者」に闇堕ちしなかったのか?ガースーが笑って答えた「5文字の言葉」『文藝春秋と政権構想』(鈴木洋嗣、講談社)

 菅は少し考えて小声で呟くように答えた。

「やはり、私の決めたことが最後ですから」

 官房長官としての発言なら、多少乱暴であっても修正が利くが、総理の口から出れば、当然ながら、それは最終決定である。その言葉の重みが、菅の口をさらに重くしていったように思う。のちに、総理を辞めたあとの会合で菅はこう洩らしていた。

「夜中に救急車のサイレンの音で目が覚める。乗っているひとは大丈夫かなあ、無事かなあと考えるとね」

「国民の安心安全」、言葉は言い古されたものかもしれないが、総理大臣の職にあるものの業のようなものを感じた。