テックエリートが創造する
「すばらしい新世界」の行方は?

 このモデルは、寡頭制社会主義(oligarchical socialism)と呼ぶのが最もふさわしい。資源の再分配は、労働者階級と衰退する中流階級の物質的要求を満たすことになるであろうが、社会的上昇が促進されることはなく、寡頭勢力の支配が脅かされることもないであろう。

 これは、古い産業経済からの180度転換を意味する。労働者は不動産を手に入れ、曲がりなりにも自給自足の生活ができるようになる、とはいかず、それどころか賃貸アパートに住み、将来に希望の持てない農奴のような未来が待ち構えている。大人になっても不動産を持てず、生活の基本的必要を補助金に頼るようになる。

 トマ・ピケティが指摘するように、テックオリガルヒは、19世紀の一部の産業資本家と同様、技術的な才能を持つ人びとの高まる影響力が「人為的な格差を破壊する」一方で、「自然の格差を一層くっきりと浮き彫りにする」ことを期待しているのである。

 しかし、新しいテック貴族もやはり、旧来の経営者エリートや腐敗した投機会社よりも自分たちのほうが、本質的に富と権力を持つにふさわしいとみている。自分たちは単に価値を創造しているだけでなく、より良い世界を築いているのだという確信があるのである。

 初期のテクノロジーは、既存のやり方を破壊するものであったが、その基本的な目的は、人びとがよりコストをかけずに効率的に物事を進め、生産性を高め、暮らしやすい生活を送れるようにすることであった。社会学者のマルセル・モースは、テクノロジーとは「効果的な伝統的行為」のことだと述べている。概してそれは徐々に発展するものであって、革命的なものではなかった。

書影『新しい封建制がやってくる: グローバル中流階級への警告』(東洋経済新報社)『新しい封建制がやってくる: グローバル中流階級への警告』(東洋経済新報社)
ジョエル・コトキン著、寺下滝郎訳

 しかし、新しいエリートの多くにとって、テクノロジーは効率性や利便性よりもはるかに大きな意味を持つ。それは、ニルヴァーナ(涅槃、天国)に至る霊的な旅の始まりであり、かつ終わりである。

 グーグルの描く未来像は、現実世界と仮想世界が融合する「没入型コンピューティング」を特徴とする。グーグルのエンジニアリング部門を長年率いてきたレイ・カーツワイルに代表されるテックリーダーたちは、人工知能によって支配され、コンピューターとそのプログラマーによって管理される「ポストヒューマン(人類進化)」の未来創造について語っている。

 彼らは、老化を反転させ、人間の意識をコンピューターに取り込めるようにすることを夢見ている。このヴィジョンは、新しいテクノロジーが人間の進化の後継者であるという技術決定論への信頼、いや執着に支えられている。しかし、それが多くの人の望む未来なのであろうか。