実はこの「罪の自覚ゼロ」こそ、アスリートへの誹謗中傷がなくならない根本的な理由だろう。

 ファンというのは、熱狂的にチームやアスリートを応援しているので、その期待が裏切られたときは一心不乱に怒り、憤る。そういう人たちを観察して思ったのは、好プレーを褒め称えるときと同じくらい、ダメなプレーをボロカスに叩くのが「楽しそう」ということだ。

「あいつ使えないよな。なんだよ、あのへっぽこシュートは」「もうクビでいいよ」「終わったな」などと「戦犯」を厳しく吊し上げることは、そのチームやアスリートを長年支えてきた熱狂的ファンの「愛のある批判・論評」として許容されるかのような風潮があるのだ。

 だから、ハタから聞いていると「うわ、エグい誹謗中傷だな」と思っても、熱狂的なファン本人たちからすれば、純粋にスポーツ談義に花を咲かせているだけということがよくある。そんな人たちに「アスリートへの誹謗中傷に気をつけましょう」と呼びかけたところで、心に響くわけがない。スポーツを楽しむうえでまったく「得」のない話だからだ。

逆転の発想で
誹謗中傷を“エンタメ”にする

 では、一体どうすればいいのかというと、発想を逆転して「得」を感じさせればいい。熱狂的ファンが「誹謗中傷対策」をやればやるほど、ファンとしてのインセンティブがつくようなシステムをつくればいいのである。

 それは「誹謗中傷対策レース」である。