21世紀とは、20世紀の総括の上にしか、成り立たない。つまり(これも言葉遊びではなく、事実として)パンクをしっかり理解した上での「ポストパンク」以降にしか、ない。たとえばいま現在のストリーミング・サーヴィスほか、ネットを介した文化的商材のやりとりの発想の根本部分には、かつて無数のパンク・ロッカーたちが「それまでの常識」にボコッと穿った空洞が、ちょうど柱穴みたいにして機能しているとも言える(ヒッピー哲学がインターネット発展の基礎となったわけだから、これは当然といえば当然のことなのだが)。

ドイツのパンクな首相
アンゲラ・メルケル

 そしてなによりも、度しがたい怒りにとらわれたとき、髪を逆立て、Tシャツとジーンズを引き裂いて、中指を立てて異議の叫び声を上げたくなったとき(あるいは、気持ちだけでも、そうなったとき)――あなたが無意識に模倣しようとした「その類型」の原点を、真の意味を知っておくことは、決して無駄な行為とはならない。それどころか、有形無形の、大きな助けとなるはずだ。もしかしたら、人生の土壇場においてすら。