福島で想う「レスキュー来ない感」

開沼 僕の場合は、この「レスキュー来ない感」はなんなんだろうと感じることが多いです。そこは阪神・淡路大震災で被災した神戸との一番大きな違いなのかなと思いますね。

和合 「レスキュー来ない感」ですか?

開沼 はい。神戸は太平洋ベルトの上にあって新幹線も通り、西から東へ移動する際に通過せざるを得ない場所です。大学や短大などの高等教育機関の数を見ても、福島はおそらく20校弱程度なのに対して、神戸近辺には100校以上あるでしょう。研究者やメディアに関わる人の数もそれに比例するわけで、層としての厚みの違いは当然でてくるはずです。

 そうなると、神戸であれば研究者もそこに活動の拠点をおいて、自分の言葉で語る人がいろいろと成果を残してきたのに、他方で、福島には「東京から新幹線に乗って1泊2日でふらっと来てみました。すると福島はこんな感じでした」という印象論でとどまってしまい、誤った像がつくられてしまっている部分もあります。

 そういった発信が全国の共通認識になってしまうことへの問題をとても強く感じているんですよね。言い方は悪いかもしれませんが、研究対象としてこれほどの「ネタの宝庫」はありません。せっかくだから研究すればいいのにと思ってしまうんです。

和合 これは開沼さんもすでに書かれていたと思いますが、この問題は単に福島の問題ではなくて、現代社会の裏側とつながってきますよね。

開沼 そうだと思います。

和合 「詩の礫」では震災のことを書き続けていますけど、僕もそこから社会の様々な問題につながっていきたいなと思っているんですね。きっと、「詩の礫」で扱う内容も変わっていくと思います。開沼さんが書かれたものを読みながら、開沼さんがどんなところにアンテナを立てているのかというところも注視していますよ。

 例えば、イジメや虐待の問題を書いたり、あるいは孤独死もそうかもしれません。こうした三重苦、四重苦と言われる問題は、社会全体の問題へとつながっていきます。同じように、福島の問題を語ることは、現代社会の問題を語ることに比喩化して語り得ることだと思うんです。ただ、こんなこと言ったら怒られるかもしれませんが、みんなが一元的に見て満足して、東京に戻っていくように感じます。誰がどうしたってそこに落ち着いてしまうんですよねぇ。

開沼 そうなんですよね。

和合 「あれ?これなんか違うのかな?」と思うことはよくあるんですよね。

開沼 例えば、どういう瞬間にそう考えましたか?

和合 「福島の人を想ってこれをやっていこう」というもの、いっぱいありますよね?福島の人はもっと深く絶望していて、もっと傷は深いですよ。だけどね、単純に福島を飛び超えてしまって、あえて厳しい言い方をすれば、彼らは福島を食い物にして、騒いで帰っていきます。そういうイベントが残念ながらあると思います。ちょっと極端な言い方をしています。こんな言い方、申し訳ないんですけどね。

 だからと言って、彼らに悪気はないんですよ。あちらこちらで開かれているシンポジウムだって、どこか同じですよね。みんな悪気はないんですよね。悪気なくやって来て、悪気なく話をする。だけど、最終的には変わらないですよね。まさに「レスキュー来ない感」なんですよ。南相馬市は放射能の影響でトラックが入らなかったじゃないですか?基本的にはあれと変わらないと思います。この人たちはここに入れなくなったら絶対来ないだろうなって。

開沼 その通りでしょう。

和合 その感覚を福島の人たちは本能的にわかっているので、そういう人たちの話は基本的に聞かないんです。抽象的な表現をしていますが、具体的にあるんですよ、あまりにたくさんの例が。

 彼らとの間にどうしても温度差があるんです。それをどうしていったらいいのかなと常に考えています。こっちだって、そっちだって、みんな一生懸命なんですよ。一生懸命なことは伝わるんですけど、そこにある温度差をどのように伝えていったらいいのかなと。それが我々の役割なのかもしれないですね。

開沼 そうですね。同時に、震災から2年が経って、当初は玉石混淆だったものが、だいぶ振るいにかけられてきた感じもあるのかなと僕は思っています。今も福島に残ってここにある問題に関わり続けている人や、今からあえて関わろうとする人はそうだと思います。

和合 開沼さんはまだ20代ですよね?素晴らしいですよ、開沼さんのような方がいらっしゃることは。今からが正念場ですよね。

開沼 そうですね。僕は「課題整理の功罪」といつも言っています、課題は、時間が経つとシンプルになっていきます。それ自体はいいことだと思います。例えば、補償について考えよう、除染について考えよう、避難について考えようということは課題整理の「功」の部分です。

 しかし、その一方で、課題整理を行って物事をシンプルに見るようになると、まったく別な問題がより表面化している可能性があるにもかかわらず、それが見えなくなっています。それが課題整理の「罪」の部分です。課題を整理しました、「結」をつけましたで終わりじゃないよ、と言い続ける人はいないといけませんね。


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