怯える女性写真はイメージです Photo:PIXTA

10代からのひどい潔癖症で、家にひきこもって鬱屈とした日々を送っていた著者。20代になり、やっと心療内科に出向いた彼女についた病名は「強迫性障害」。投薬治療を重ねるうちに、彼女の精神は少しずつだが回復の兆しを見せるのだった――。本稿は、難波ふみ『気がつけば40年間無職だった。』(古書みつけ)の一部を抜粋・編集したものです。

自分は「強迫神経症」
だと分かった18歳

 青く鬱屈とした日々を送るなか、繰り返す掃除と消毒と不安に、「いよいよ自分は頭がおかしくなったのだ」と絶望の淵に立たされていた18歳の頃、偶然、あるテレビ番組を目にした。

 それは「強迫神経症」、今でいう「強迫性障害」という病気についての特集だった。

 その番組を見たとき、心底ホッとしたのを覚えている。

「私だけじゃない。自分と同じ辛さを味わっている人がいる。あぁ、自分が苦しんでいたのはこの病気のせいだったんだ」と……。

 だが、それを理解してもすぐに病院に行く、ということはしなかった。理由がわかっただけで、ホッとしたというのもある。今、振り返ると、「そこは早く行っとけよ」と言いたい。しかし、引っ越し後、我が家の家計はどんどん逼迫してきていた。専業主婦だった母も中華惣菜屋のパートに出るようになっていて、そのため、あまり金銭的に負担をかけたくなかったのだ。

 強迫神経症という病気がある、という説明は家族にしていたように思う。

 病状は深刻であったので「働く」という選択肢は遥か遠くに輝いているばかりであった。