日本初の共通ポイントであるTポイントは、レンタルビデオチェーン、TSUTAYAで飛躍したカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)によって生み出された。Tポイントの「生みの親」である当時のCCC首脳が「ポイント」の着想を得たのは、20年前以上の思わぬ出来事がきっかけだった。『ポイント経済圏20年戦争』から一部を抜粋し、ポイント経済圏の萌芽にまつわる秘話を明らかにする。(ダイヤモンド編集部)
TSUTAYAの会員カードの共通化が課題
60枚のポイントカードの束がヒントに
ビデオレンタルチェーン、TSUTAYAを展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が日本初の共通ポイント、Tポイントを生み出せた背景には、同社が抱えていた大きな経営課題の存在があった。
それが、会員カードの共通化である。TSUTAYAの店舗のうち、CCCの直営店はごくわずか。ほとんどがスーパーや書店といった流通企業によるフランチャイズ(FC)店だった。そして、いずれの店も看板にはTSUTAYAと掲げられているものの、加盟店はそれぞれ自社グループの会員カードを発行していた。
つまり、オーナーの異なる2店舗を利用する場合、顧客はそれぞれの店舗で会員カードを作る必要があったのだ。「別のTSUTAYAに行くと、また新しいカードを作らないといけない」。TSUTAYAの店舗網が広がれば広がるほど、顧客のそんな不満は高まっていった。利便性を考えれば、共通化という流れは当然だった。
だが、CCC取締役でTポイントを考案することになる笠原和彦は頭を抱えていた。なぜか。肝心の加盟店のオーナーたちの理解が得られなかったのだ。あるオーナーは、説得する笠原に対してこう言い放った。「うちはサービスが良くないから、カードを共通化したら客が他の店に流れてしまう」。多くのオーナーが似たような発想だった。「それならサービスを良くすればいいのに……」。笠原は内心で苦笑いするしかなかった。会員カードの共通化はCCCの経営課題として長く横たわっていたのだ。
出口の見えないトンネルに光が差すきっかけは、ひょんなことから起きる。2000年春のある休日のことだ。珍しくゴルフの先約がなかった笠原は、妻の買い物に同行した。行き先は、自宅から最寄りの東急東横線自由が丘駅前にあるドラッグストアである。
その日は特売日だった。気合の入った妻は、カゴにどんどん商品を放り込んでいった。笠原は妻に従い、大きなカゴを二つ抱え、店内をぐるぐると回った。
腕がしびれ、ようやく会計レジにたどり着いたときに、妻があることに気付き慌てだす。「あらっ、ポイントカードがないわ」。すると、妻はすぐに会計をやめた。笠原はしぶしぶと店内に引き返し、商品を全て棚に戻し、帰途に就かなければならなかった。
自宅に戻った笠原は仰天した。妻は、引き出しからなんと60枚ものポイントカードを出してきたのだ。スーパーにドラッグストア……。本当にためているのか分からないようなポイントカードもあった。妻は店舗ごとにカードを使い分け、ポイントを集めていたのだ。あっけに取られると同時に、笠原の頭に一つのアイデアが浮かんだ。「これって1枚のカードになるんじゃないか」。
当時、業種やチェーンの壁を越えて、ポイントがためられる共通ポイントという概念はなかった。しかし、カードの束を目にした笠原は、60枚を1枚にすれば合理的だと思ったのだ。何より、会員カードの共通化という悩みに、ポイントの共通化が解になる可能性を感じた。
実際、共通ポイントはバラバラのTSUTAYAをつなぐ触媒になり得るという笠原の直感は間違っていなかった。その後、ポイントが業種やチェーンの壁を越えて巨大なポイント経済圏を生み出したことが、その証左といえる。
ただし、このときは笠原自身もポイントが現金のように広く流通するような未来が来るとは想像だにしていなかった。たった一つの思い付きが、巨大ビジネスに変貌する可能性を秘めていることに気付くのはまだ先の話である。(敬称略)