ポイント経済圏20年戦争Photo:Klaus Vedfelt/gettyimages

カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)のTポイント構想は、同社の役員会で一度否決されている。プロジェクトは予想もしなかった人物からの反対でまさかの「棄却」となったのだ。『ポイント経済圏20年戦争』から一部抜粋し、慎重論が支配していた役員会をひっくり返し、Tポイント誕生の道筋をつけたCCC首脳の秘策とは。(ダイヤモンド編集部)

※この記事は『ポイント経済圏20年戦争』(名古屋和希・ダイヤモンド社)から一部を抜粋・再編集したものです。

Tポイント構想がまさかの棄却
慎重論撤回の秘策は現地視察

 2002年秋、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の本社で開かれていた役員会は重苦しい雰囲気に包まれていた。

 役員会には、CCC創業者で社長の増田宗昭を筆頭に、社外役員だった楽天(現楽天グループ)の三木谷浩史やフューチャーシステムコンサルティング(現フューチャー)社長の金丸恭文ら10人ほどが出席していた。

 議論の俎上(そじょう)に載せられていたのは、CCC副社長だった笠原和彦が提案したポイントの共通化プロジェクトである。「これはやってみてもいいのでは」。役員会ではそんな声もあった。しかし、雰囲気を一変させたのが、ある人物の一言である。「レンタル屋のカードに新日石みたいなところが乗るなんて考えられない」。発言の主は誰あろう増田だった。役員会の場はしんと静まり返った。

 CCCは2000年に上場を果たしたばかりのヒヨッコだ。大手企業は見向きもしてくれないだろう、と増田が自虐的に考えるのも至極まっとうだった。増田の発言で、参加していた他の役員もプロジェクトへの慎重論に傾いていった。そもそも、笠原は事前に増田にプロジェクトについて根回しをしていた。だが、増田は役員会の場で突如不安を漏らしたのだ。

 オーナーである増田の判断であれば仕方ない。役員らも右へ倣った。結局、この日の役員会では、笠原の渾身(こんしん)のプロジェクトはあえなく棄却された。ただ、笠原もそれぐらいで諦めるような人間ではない。構想に自信を持っていたからこそなおさらである。プロジェクトを前に進めるために、ある秘策を講じた。

 プロジェクトに慎重な立場を示していた役員の一人に、当時CCC常務だった小城武彦がいた。小城は東京大学卒業後、84年に通商産業省(現経済産業省)に入省したキャリア官僚。小城は通産省を途中退職して民間企業に移った第1号だった。

 笠原の秘策とは、プロジェクトを小城に任せることだった。笠原の突然の命を受けた小城は戸惑った様子を見せた。そもそも慎重な人物に任せれば、プロジェクトが動かなくなるリスクもある。だが、笠原にはビジネスの発想が豊かな小城は、共通ポイントが持つ可能性を理解できるはずだとの直感があった。

 そして、笠原は小城に英国のネクターというポイントプログラムを視察してくるように言い含めた。ネクターには当時、石油大手のBPやクレジットカード大手のバークレイカード、大手スーパーのセインズベリーなど業種を超えたさまざまな企業が加盟していた。

 現地視察の効果は絶大だった。ロンドンから戻ってきた小城は、共通ポイントの可能性を認識し、慎重論を撤回した。笠原は反対していたもう2人の役員も視察に派遣した。結局、3人とも賛成に回る。

 02年11月14日、プロジェクトを議論する2回目の役員会が開かれた。今回は打って変わり、小城らがプロジェクトの賛成に回った。唯一、慎重な姿勢を崩さなかったのが増田であった。だが、議論の末にプロジェクトは賛成の決議を得た。着想から2年半、ようやく共通ポイント構想を会社として進めることが決まったのだ。(敬称略)