2009年5月20日、88歳だった。

 ニーナは現在クラスノヤルスクに住んでいる。ソ連崩壊時には給与も出ず、苦境に陥った時期も体験した。鉄五郎氏を始め、カンスク近辺の残留邦人の健康管理を引き受けて、必要があれば病院も紹介していった。

 鉄五郎氏が80歳を超えても訪日できたのは、ニーナの献身が大きいと皆が受け止めている。

 エンマも長く生きて、2023年1月99歳の天寿を全うした。

「美代子さんとママは日露の2人の女性が運命で結ばれたことを理解し、お互い憐れみ、尊敬しあっていました」

 エンマと美代子さんの2人の女性の労を、ニーナはそうねぎらう。ニーナと美代子さんが笑顔で食事をしている写真も残っている。哲郎さんとも会っていた。今回、哲郎さんの居所を捜したが、見つけることはできなかった。

 最初の一時帰国前、エンマは日本からの取材者に対してこう言った。

「私たちは日本とドイツという運命を背負って出会ったのです。お互いに支え合わなくては生きていけません。彼には一度日本に戻るよう勧めています」

 シベリア民間人抑留の足跡は痛みと不屈と忍耐、それに慈しみを含んだ女たちの足跡でもあった。