「長い間御無沙汰致しまして申し訳有りません。……今はもう便りを書くのが大変です。いやだよ、……(ニーナが日本に)行く度に御世話になって、何とも申し訳有りません。何と御礼をして良いか私は思えば思うほど、涙で心がなんとなく悪くなるよ。

 ではもう書きませんですから、何時か又、元気の時に書きます。……身体に注意して元気で長生きする様に遠いシベリヤ、カンスク町で御祈りします」(2006年と思われる)

 ニーナは東京に来たときには、必ず節子さんと会い、「とても親しくなりましたよ」

 節子さんが亡くなったのを知った時、温かな人だったと、とても悲しんだ。

シベリア民間人抑留に
翻弄された女たちの涙

 2010年1月、ニーナから協会あてに鉄五郎氏の最期の様子を書いた手紙が送られてきた。

「近年、父はあまり歩くことができませんでしたので、足の筋肉が萎縮し、結局壊疽になり、医者の診断で足を切断しなければとのことでしたが、本人は手術に耐えられないからと断りました。

 4月から5月19日まで入院しましたが、父の状態も少し良く、父の強い希望で退院することにしました。家では血圧も安定し、落ち着いた様子になりましたのに。

 亡くなる少し前には、日本で皆さんと一緒に撮った写真をずっと眺めていました。静かに眠りについたのに、朝7時に父の状態が急変し、救急車が到着した時には息を引き取っていました」