チームには、私と同じ価値観の選手もいれば、異なる価値観をもつ選手もいる。だが私には、異なる価値観を受け入れられるだけの「器」がなかった。

 だから、そこから、

「怒ったり、罰を与えたりして、無理にでも何かをさせることは相手のためなのだ、正しいことなのだ」

 という誤った信念が生まれてしまった。

 そして私は「これが正しい。だから、つべこべいわず、とにかくこれをやれ」と、その誤った信念にもとづく指導を行っていたのだ。

 その指導にはまった選手もいれば、はまらなかった選手もいただろう。私と同じ価値観の持ち主ならとくに疑問を感じなかったかもしれないが、私と異なる価値観をもつ選手にとっては、その指導がパワハラ、強要だと映っても仕方がない。

 そのときは、それが最善だと思っていたが、今振り返れば大きな間違いで、私の独りよがりにすぎなかったのだ。