「伝説の悪女」といわれる女性が、浄瑠璃・歌舞伎など日本の伝統芸能には数多く登場する。実在の人物との境界が曖昧なのであくまで伝承に過ぎないが、日本人の恋愛観や情念・恨みといった感情と密接に関わり高い人気を誇る。なかでも紀州(和歌山県)の清姫は、大衆の心をつかんで離さない不思議な魔力を持っている。(歴史ライター・編集プロダクション「ディラナダチ」代表 小林 明)
大蛇に姿を変えて
愛する男を焼き殺した女性「清姫」
清姫とは、日本史上最凶のストーカーといわれる悪女だ。「安珍と清姫」の物語で知られている。和歌山県日高郡の道成寺に残る伝説に登場し、これを元に歌舞伎の『京鹿子娘道成寺』(きょうがのこむすめどうじょうじ)などが成立した。
人形浄瑠璃の『日高川入相花王』(ひだかがわいりあいざくら)のモチーフでもあり、こちらは1980(昭和55)年、漫画家の星野之宣が短編で取り上げ話題となった。
こうした伝統芸能の演目は、すべて16世紀に成立した『道成寺縁起』から派生している。その内容を簡単に紹介しよう。
なお、『道成寺縁起』では登場人物に名前はなく単に「僧」「女」となっているが、ここでは便宜上、二人を僧を「安珍」、女を「清姫」と呼称する。
醍醐天皇の御代(928/延長6年)、修行僧の安珍が諸国行脚の途中、紀伊国牟婁郡(むろぐん/和歌山県田辺市)に立ち寄り、当地の荘園を管理する役人の屋敷に投宿した。
屋敷には清姫という娘がいた。清姫は安珍を厚くもてなし、「深き契(ちぎり)と覚え候」(深く交わりたい)と申し出るが、修行僧の身。深入りは避け、熊野詣でを済ませた帰りに必ず会いに来ると言い含め、去っていった。