「東大ノート」というと、2008年にベストセラーになった『東大合格生のノートはかならず美しい』(文藝春秋)を思い出す方もいるのではないでしょうか?この本では、東大生のノートの成功の秘訣は「美しく丁寧に書く」ことにあると述べられています。
たしかに、「美しいノート」は魅力的です。しかし、子どもの頃からノートをきれいに書いてきた「優等生タイプ」の人以外には、あまりおすすめできないと思っています。普通の人が同じことをしようとすると、時間や労力をかけすぎてしまい、肝心の理解・暗記が疎かになって逆効果になるリスクがあるためです。
じつは、私はこれまでさまざまな東大生や東大院生のノートを分析してきましたが、「美しいノート」をつくっている「優等生タイプ」の学生は、一定数いるものの、ほんのひと握りだということがわかりました。
逆に、本人にしか読めない字で「信じられないほど汚いノートづくり」をしている学生もひと握り存在しています。彼らは「天才型」で、講義を受けるだけで覚えられるので、ノートが必要なかったり、頭の回転の速さにノートを書く手が追いつかないと言います。
では、残りの大半を占めるマジョリティ東大生はどうかというと、「工夫型」のノートづくりをおこなっています。これは、決して「美しい」わけではないけれど、「書きながら理解し、暗記するための工夫」に満ちたノート術です。