海上自衛隊の掃海艇「うくしま」が11日、機関室で発生した火災によって、玄界灘に沈んだ。機関室で当直に就いていた隊員一人が行方不明だという。海自艦艇の沈没としては2例目だが、国際法上、「軍艦」として扱われる「自衛艦」としては初めてのこと。事故の原因は今後の調査で明らかにされるが、実は4年前にも掃海艇が機関室からの火災を起こしていた。過去の事故から何が見えてくるのか。防衛省出身ジャーナリストが解き明かす。(安全保障ジャーナリスト、セキュリティコンサルタント 吉永ケンジ)
4年前にも起きた
掃海艇の火災
11月10日午前に福岡県宗像市沖で火災を起こし、翌11日午前に沈没した掃海艇「うくしま」は、海上自衛隊の礎である掃海部隊の伝統を引き継ぎ、対馬海峡を防御する下関基地隊に所属していた。海自において掃海部隊は決して花形ではないが、終戦直後から一貫して機雷を処分する実戦を繰り返しており、隊員たちの士気と練度は高い。
なぜ、実戦経験豊富な掃海艇が火災を起こし、いとも簡単に沈没してしまったのだろうか。
そこには、掃海艇特有の事情があると考えられる。実際のところ、その事情が原因となり、4年前にも「うくしま」と同じ型の掃海艇が火災を起こしていた。
そもそも掃海艇とはどういった船なのか、火災の原因となった事情とはなにか。そして、火災が起こったとき、隊員たちはどうやって炎に立ち向かったのだろうか。
映画『ゴジラ-1.0』で掃海艇が
オンボロの木造船だったワケ
掃海艇とは、海洋に敷設された機雷を処分する船をさす。機雷とは、水中に設置され、船舶が接近または接触したとき、爆発する兵器のこと。船舶が発する磁気や音響、水圧などに反応する。
大ヒットした映画『ゴジラ-1.0』で、主人公が高給に釣られて掃海艇に乗り込むシーンが描かれているが、これは実際の出来事をモチーフにしている。太平洋戦争末期、米軍は日本の息の根を止めようと、周辺海域に機雷をばら撒く「飢餓作戦」を断行。海上交通を遮断された日本は文字どおり飢餓状態に陥った。海上自衛隊の歴史は、これら残された機雷を処分するところから始まったのだ。