秀吉、列強勢へ怒りの書簡を送る
本の虫課長 世界の動きはある程度はつかんでいたでしょう。織田信長とは「いずれ彼らが攻めてくる」という話をしていました。唐入りの構想自体も信長がすでに考えていました。イエズス会の宣教師、ルイス・フロイスは、イエズス会総長宛ての手紙に「毛利氏を倒したら中国へ渡る」と信長が考えていると記しています。
事実、秀吉は朝鮮出兵の前後、スペインのフィリピン総督や、ポルトガル領インドのポルトガル副王に対し、幾つもの書簡を送っています。スペインによるルソン諸島征服を批判する内容、キリスト教布教の禁止を求める内容、強い文言で「予を軽視するべきではないぞ」と告げる内容などです。なぜか明征服の構想までもわざわざ知らせています。
泉岡マリ そんな構想、相手に伝えてもメリットあるのかなあ。
本の虫課長 背景に、イエズス会による日本のキリスト教国化がありました。キリシタン大名を動員して明を征服する案があったのです。サンデ、カブラル、サンチェスなど宣教師たちの記録にも日本人の兵力を動員しようとした計画が残されています(下表参照)。
当時の日本は、長引く戦国の世によって、世界最大級の鉄砲保有国となっていましたが、東南アジアのほかの国はそうではありません。そのため、わずかな鉄砲とある程度の兵力があれば、明を征服できると思ったのでしょう。その上、スペイン人やポルトガル人たちはキリシタン大名を通じ、多くの日本人を奴隷として外国に売買していました。これも国外で多くの史料が残っています。
渡辺フミオ イエズス会の発案でローマへ派遣された「天正遣欧少年使節」の日記にも、外国で奴隷となった日本の子供たちの扱いや、売った日本人への怒りが記されていますね。
本の虫課長 そうです。キリシタン大名が派遣しているので、奴隷を買う側ではなく、売る側を非難するしかなかったのでしょう。