なぜ盛田さんは映画に飛び込んだのか
それについてはさまざまな見方がされましたが、僕としては、盛田さんの個人の趣味がベースにあったとしても、やはりビデオの規格をめぐる「ベータ│VHS」戦争で松下陣営に完敗したことが背景にあったと思います。ソニーのトップとして辛酸を嘗(な)めた経験から、盛田さんはコンテンツ側の賛同を得られなければ製品開発さえままならないということを痛切に学ばれたのでしょう。
当時、この日本企業初のハリウッド買収は、日米間で起きていた日米貿易摩擦に対し、火に油を注ぐような行為としてアメリカでは捉えられました。
「日本人はアメリカを乗っ取るつもりなのか」
「ソニーはアメリカの魂を買収した」
こうした非難に対し、盛田さんは一歩も引かずこうやり返しました。
「アメリカの魂を買ったと非難されるなら、売った方にも問題がある」
アメリカの世論はさらにいきり立ちましたが、盛田さんは飄々(ひょうひょう)としたものでした。
しかし、この買収でソニーは今まで経験したことのない塗炭(とたん)の苦しみも味わいました。
1993年頃、僕が社長に就任する直前ですが、ヒット作が出ず、経営陣が相次いで退任していました。ソニー本体からの持ち出しも増える一方で、回収がままならない状態になっていました。1994年の7~9月の四半期の連結決算では、およそ3150億円もの損失を計上しています。社内では映画事業に対する悲観ムードが広まり、多くのメディアが「買収は失敗」と書きたてもしました。
しかし、僕には「映画産業は成長産業だ」と揺るぎない自信と見通しがありました。今や一本の映画は映画館で上映されるだけでなく、ホームビデオになり、オンデマンド配信、テレビ放映、ゲーム化されるなど、収益を得る枠が幾つもある。今は苦しくても必ず伸びる。インターネットの時代、デジタルの時代になれば、コンテンツやソフトウェアが重要になると、僕は信じていました。