その様子はといえば、「朋輩中、少しく知る者は、己より知らざるものを教え、みずから修め善くする間に、他人を修め善くし」「この少年相互いに、読書作文、算術地学を、あるいは教え、あるいは学び」といったように、すでに知識を得た者が知識のない者をフォローし、作文や算数などを指導したり、逆に指導されたりする協同的な営みとともにあった。
つまり、スマイルズのいう自助とは、同志的なつながりを前提にしたものであり、その中で切磋琢磨していくことが含意されていた。
しかも、「人なるものは、品行を高尚にすべし」という言葉を「最要の教え」と書いたように、その中核には成功すること以上に人間性の向上が重視されていたのである。
日本の自己啓発の
方向性を決定した“歪み”
けれども、『自助論』が日本に輸入されてしばらくすると、この切磋琢磨と人間性向上の精神は見事に漂白され、個人がひたすら「勤勉と努力」に投資すれば、リターンとして「成功と幸福」が得られるというふうに単純化された。共助の側面はほとんどそぎ落とされ、「天は自ら助くるものを助く」だけが独り歩きをし始めたのである。
この歪みが日本の自己啓発の方向性を決定したと言っても過言ではない。
教育社会学が専門で、日本の立身出世主義に関する著作も多い社会学者の竹内洋は、諸外国と比べて日本で『自助論』がかなり長い間読まれていたことを「不思議な現象」と述べた上で、「この本の大正時代以後の読者たちのかなりは受験生だった。努力と勤勉、忍耐の受験的生活世界の物語に生きた受験生には『セルフ・ヘルプ』は古びた倫理ではなくて極めてリアルだったから」と結論付けている(『立志・苦学・出世受験生の社会史』講談社、1991)。
しかし、現在まで連綿と続く経営者や著名人への影響力、ましてや誤読された『自助論』のエッセンスがネット上で拡散され、今なお称賛されている状況を踏まえると、抄訳版『自助論』は、スキルアップやリスキリングが求められる現代にこそ「極めてリアル」に感じられるようになっているのではないだろうか。
このような視点から参考になるのは、大ヒットした日本映画『花束みたいな恋をした』(2021=以下『花恋』)とその内容に対するリアクションである。
物語は、山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)の恋愛、同棲生活を軸に進む。