わたしが好きな草むらでは、ひとりの主役というものがなくて、みんな脇役で、みんな主役だったのです。
花は自然の中でこそ美しいと
気づいて摘むのをやめた
草むらの中で見つけた、カラスノエンドウ、ヒメジョオン、赤まんま、イヌフグリ、キンポウゲ、カタバミ……、きりがないほどたくさんの生き生きした草花たちを、わたしはまじまじ見つめて、“ナンテキレイなんだろう!”“ナンテ可愛いんだろう”と目を見はりました。あの憎まれもののヤブカラシだって、星座のように可憐な花を持っているではないかしら。
そして、遠くのほうで何か、キラッと、虹のカケラのように光るものがあったり、空を行く雲のさまざまな姿、澄んだ青空、小川のせせらぎ、木もれ日のバラバラと弾けあう、あの光模様……。なんでもない自然の、季節の、花とか樹とか空とか風とか匂いとか音とか、そういうわくわくするものたちを、なんとかしてつかまえられないものか、と思っていました。わたしの心が震えてくるほどうれしくなる、この世の小さな、キラキラした生命たちを。
わたしは、道ばたに王冠のように輝いていたタンポポの花を摘みとって、わが家に持ち帰り、コップにさしました。が、タンポポは見るまにうなだれて光をなくしてしまったのです。
イヌフグリもそう。あんな冷たい風の吹く土手にへばりついてがんばって咲いていたのに、わたしが摘みとると、他愛もなくポロリと首が取れてしまいました。
わたしは、もう花を摘まなくなりました。なんにしても、自然の中で、自分の場所で、自由に生きているのが一番美しい、と。自然はわたしのものにできない、わたしが出向いて、彼らを眺めたり、耳を傾けたり、触れたりして、わたしの心の中に写しとるのが一番だと思うようになったのです。それが、知らず知らずのうちに、わたしの好きなマンガを描くことにつながっていきました。
ほら、見てごらんなさい。小さな野のスミレだって、大きな地球から生まれ、地球に生かされていながら、地球を支えているんですよ。
ということは、こんなとるにたらないような小さなわたしだって、ここにいて、みんなに支えられて生きている。そして、みんなの支えにもなっている大きな存在なのよ、と、わたしは自分の描くものの中で伝えつづけていきたいと思っています。それがわたしの、ささやかで難しい生きがいなのだと思うのです。