三田紀房の受験マンガ『ドラゴン桜2』を題材に、現役東大生(文科二類)の土田淳真が教育と受験の今を読み解く連載「ドラゴン桜2で学ぶホンネの教育論」。第17回は「高校の存在意義」について考える。
高校と塾・予備校の「決定的な違い」は?
「私、大学受験は現役合格じゃないとイヤなんです」「だから落ちるリスクの高い東大受験はしません」。現役志向が強く東大受験を拒否する小杉麻里への対応に悩み、担任の田村は東大合格請負人・桜木建二へ相談する。
桜木は「『合格』と記した空手形を切りまくれ!」と豪語し、口約束でも東大合格を保証することを求める。その言葉通り田村は小杉に「私が絶対現役合格させる」と言い切り、小杉は東大受験を決意するのであった。
大学に合格するのは誰だろうか。むろん受験生である。
では、合格させるのは?
学校の先生、塾や予備校の教師、場合によっては親や先輩・同級生ということだってあるだろう。しかし、大学への合格を導くことは学校の教師の役割なのだろうか。
当然ながら、中等教育は高等教育への接続のみを目的としたものではない。特に私立中高では、各々の教育手法の特色こそがその学校の存在意義を確固たるものにしていると言ってもいいだろう。
その点で、経営上合理的なこととはいえ進学実績をやたらと強調する学校には疑問符がつく。合格実績を増やすために成績が良い生徒に複数の私立大学を受けるように勧めるといった事例もある。
進学実績重視になりがちな理由は至極単純で、世間で学歴が重視されている部分が大きい。「東大に行けば勝ち組」「MARCHに入っておけばセーフ」。例外は多数あれども、その思考に一定の論理的正当性があるのは認めざるを得ない。
しかし、教師がこの思考に取りつかれるのは、本末転倒だ。それぞれ理想の人間像を育成するための学校で行われている教育の目的が、別の教育機関に依存することであっては意味がない。
本編にあるような、「合格の保証」など私は聞いたことがないし、たとえされたところで嬉しくはない。学校の教師は、大学入試の合格・不合格を超えた視点から生徒の進路を考えるべきだ。
高校の「進学実績」で吟味すべきポイントは?
手前味噌で恐縮だが、私の母校での進路指導は明快であった。
まず、自分がなりたい将来像を考える。そして、その将来像に適応する学部を考える。最後にその学部がある大学を考える。教師は、生徒が定めた将来像を実現できるようにサポートをする。
この順序が逆になっていることはないだろうか。
入りたい大学のブランドを決め、その中で受かりやすい学部を選び、最後にその学部から進める就職先を選ぶ……。これでは、もはや何のための進路指導なのかわからなくなる。
希望大学への合格・進学は、各高校にとってはあくまで結果にすぎず、目的ではない。もし経済的に余裕があり、難関大学への進学のみを目的とするならば、塾や予備校に高いお金を払えば良い。
実際、いわゆる難関高校であっても、授業内に塾の宿題ばかりをしていたといった話は東大の中でよく聞く。
学校のレベルを比較する際に進学実績が重要な指標の1つとなるのは当然である。しかし、あくまでも学校は進学実績ではなく校風や教育手法に矜持を持ってもらいたい。
そしてまた、中学受験や高校受験を予定しているご家庭は、ある学校の進学実績が「高い進学実績を出すことを目的として作られたもの」なのか「教育の結果として生まれた進学実績」なのかを吟味する必要があるだろう。