どんな場合でもロシアの言いなりになる
それがロシアの考える「平和条約」

 ロシアが言う「幅広い善隣協力関係」や「友人同士の関係」が具体的に何を意味するのかは必ずしも明瞭ではない。ただ一例として、かつて私がロシア側の関係者から聞かされたアイデアがある。

「平和条約に『日本とロシアは、第3国との関係で起きたことを理由にして、相手に対して敵対的な政策をとらない』という条項を盛り込めれば、とても意義深いのではないか」。

 今となってみると、これはとても意味深長な内容である。

 もしも日本がこんな内容を含む条約をロシアと結んでいたら、ウクライナ侵略後も、日本は対ロ制裁に踏み切れなかったかも知れない。油断も隙もないとはこのことだ。

 冒頭で紹介したロシアの外交関係者の「平和条約があったら日本は困ったことになっていた」という発言の背景には、どんな場合でも日本がロシアに友好的な姿勢を示すことを約束すること、有り体にいえばロシアのやることを日本が邪魔できないようにするのが平和条約、という考え方があるのだ。

 そもそも「平和条約」などという言葉を使うから、混乱や行き違い、さらにはつけいられる隙が生じるのかもしれない。将来ロシアと結ぶ条約は、単に「国境画定条約」とでも呼ぶことにしたらいいのではないか。そんなことを考えたくなる。

 この点で、参考になる実例がある。エストニアとロシアの国境画定交渉だ。

 エストニアは、バルト3国の一番北に位置している。第1次世界大戦後の1918年に独立を果たしたものの、1940年にソ連に併合されてしまう。

 さらに第2次大戦が終わった1945年に、ソ連の指導者だったスターリンによって、領土の一部をロシアに奪われてしまった。これは、当時はソ連の中での線引きの変更だった。

 固有の領土をロシアに奪われたと考えている点で、北方領土問題を抱える日本とエストニアは共通している。

 エストニアはソ連が崩壊した1991年に独立を回復。その後に北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)に加盟し、ロシアと厳しく対峙している。