領土を奪われたエストニアの例を見れば
ロシアとどんな交渉をしようと無意味
そんなエストニアは2014年、ロシアとの国境画定条約に署名した。実は両国がこうした条約に署名するのはこれが2回目のことだった。
最初の条約に両国が署名したのは、2005年のことだ。このときエストニア政府は、1945年にロシアに奪われた領土の返還を断念した。
ロシアから返還される見通しがまったくないこと、ロシアとの国境が未画定で領土紛争を抱えていることはNATO加盟の障害にもなり、安全保障上望ましくないと考えたことが、譲歩に踏み切った理由だった。
エストニア議会はこの決断を受け入れる一方で、条約批准の際に、かつての領土が正当だったという見解を議決した。
ところがロシアがこの議決に反発して条約の批准を拒んだため、交渉は仕切り直しとなってしまった。
その後の交渉で、条約に新たな条文を追加して、国境を決めるための純粋に技術的な性格という位置づけにすることで、2014年になんとか再署名にこぎ着けたのだった。
もっともこの新しい条約も、同年クリミアを占領したロシアに対してエストニアが制裁を科したことにロシアが反発し、再び批准されないまま、今も中ぶらりんになっている。
この経緯は、仮に領土で全面的に譲っても、少しでもロシアに気に入らないことがあれば条約の締結は困難だという実態を示している。
そもそもプーチン氏は侵略戦争を正当化する理由として「(ソ連崩壊時に)ロシアがウクライナ独立を受け入れたとき、それが友好的な国家だということが、当然の前提だった」と繰り返し主張している。
要するに、ロシアにとって気にくわない事態が起これば、政府間の国境合意を破る口実になるということだ。
これでは日本がロシアと平和条約を結んでも、ロシアに批判的な政策をとればいつでも「あれは無しね」と言われかねない。
もちろん今は、ロシアとの間で平和条約交渉を進められる状況ではない。でもその間に、過去の交渉を検証し、将来の交渉の進め方について考えておくことは、決して無駄にはならないだろう。