ドラゴン桜2で学ぶホンネの教育論『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク

三田紀房の受験マンガ『ドラゴン桜2』を題材に、現役東大生(文科二類)の土田淳真が教育と受験の今を読み解く連載「ドラゴン桜2で学ぶホンネの教育論」。第18回は「研究のあり方」について考える。

高校生の研究を巡り意見が対立、争点は?

 東大合格請負人・桜木建二率いる龍山高校東大専科は、2人の生徒を迎え本格的な授業をスタートさせた。スマホを用いた動画学習という先駆的な手法をとる桜木に対し、他の教師たちは動揺を隠せない様子を見せる。

「1.75倍速で動画を見ても、理解度は変わらない」

 先月、高校生が発表したこの研究が話題を呼んだ。確かに1.75倍速で見ても理解度が変わらないとなれば大きな魅力になるのは間違いない。言われてみれば私も普段は1.75倍速でYouTubeを見ている。ただし英語のニュースと漫才を除くが。

 今回注目したいのは研究の妥当性ではなく、「高校生の研究のあり方」に関して議論が起こったことだ。

 実はこの発表の内容や質について、「研究」とは言い難いのではないか、という厳しい意見が出た。

 この話題の出典となった高校生新聞の記事(『動画の「倍速視聴」理解度は、1.75倍まで変わらず 高校生が実験して分析』高校生新聞ONLINE)上の写真を見ると、論理関係の明瞭性や先行研究への言及に関する指摘が、全くの的はずれとは言えない。ただし、当然ながら記事の写真が研究の全てでない可能性も十分に考慮する必要があるだろう。

 意見の対立軸はこうだ。

 一方は、「そもそも学術論文として公式に発表されたものではない高校生の研究なのだからその意欲を評価すべきであり、本職の研究者が目くじらを立てて大人気なく批判するべきではない」というような意見である。

 また一方は、「高校生といえど研究を行っているのだから、研究規範は厳格に適用されるべきで、また研究者からのフィードバックは適切に受けるべきだ」という意見だ。

伝え手にも受け手にも「規範」は必要

漫画ドラゴン桜2 3巻P49『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク

 ここから先は前述の高校生の話から離れ、研究に関する一般論を述べたい。

 いうまでもなく、学術論文を執筆する際の最大の禁忌は剽窃および捏造、つまり他人の知的財産を無断で盗用することだ。各大学ではこのような行為はカンニング以上の悪質な行為と見なされ、極めて厳しい処分が下されることも少なくない。

 このような事態を防ぐため、各大学では論文を執筆する際のリテラシー教育のカリキュラムを持っている。

 例えば東京大学では1年次に「初年次ゼミナール」という必修の授業があり、自分の興味分野に応じた小レポートの作成を通じて文献批評のあり方や論文の書き方を学ぶ。ちなみに私は「味覚」をテーマにした授業をうけ、「しょっぱい」という言葉の意味派生についての研究をした。

 いわゆる「調べ学習」や「探求」の授業が広まる中で、体系的な研究規範の学習を中等教育の段階で行うことは必要だと言えるだろう。

 私の通っていた中学校では、夏に自由研究の課題が課される。私が中学1年生の時に「シンガポールの戦争」に関して研究する中で協力していただいた専門家の方のアドバイスが思い起こされる。

「学校外でインタビューやアンケートをする。これを無計画に行う学生がいますが、多くの場合、協力者の時間やエネルギー、知識をタダで奪い取ることにつながりかねないばかりか、その人の個人情報をほじくり返すことにもなります。」

 一方で、適切な研究規範を持つべきなのは研究者だけではない。その研究を伝えるメディアや、私たち読者にも求められる。

 SNSの急速な発達により私たちは多くの学術的な情報(あるいは、それを真似たもの)を目にすることとなった。しかし、SNSでは「妥当性があるもの」よりも「インパクトがあるもの」が拡散される。

 どのように伝え、どのように受け取るのか。それはまさに伝え手や受け手の責務と言わねばならない。

「好きこそものの上手なれ」ということわざがある。「好き」と「上手」が結びつくためにも、未来の学問を担う研究者に対しては、社会は慎重かつ適切な反応を示すべきである。

漫画ドラゴン桜2 3巻P50『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク
漫画ドラゴン桜2 3巻P51『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク