前世と来世、浄と不浄のようなものが見えないところで権力として機能したのが宗教で、現実世界の象徴であり、見える権力として機能したのが王です。
そして、宗教が教育の役割を担うことによって、見えない権力を浸透させる役割を果たしました。
出産しても結婚できない
肌の色も差別の対象に
映画『Vanaja』(ワナジャ、2006年)は、1960年代のアーンドラ・プラデーシュの田舎を舞台とした映画で、アメリカとインドの合作です。
内容は、次の通りです。ワナジャは漁師の父と2人暮らしをしています。ワナジャは、生活が苦しいため15歳で女領主の家に奉公することになりました。
女領主は、インドの古典的な踊りクチプディの踊りの名手で、ワナジャは必死に頼んで踊りを習うことを許可してもらいます。ワナジャの踊りはどんどん上手になっていき、村祭りで賞金をもらいます。
ある日、女領主の息子シェカールが、アメリカから帰国します。ワナジャは、シェカールがお金の計算ミスをしたと女領主の前で指摘し、彼に恥をかかせてしまいます。そして、ワナジャは、シェカールに襲われ、妊娠します。
女領主はシェカールを叱り、ワナジャに中絶を勧めますが、ワナジャは、見つからないところで男の子を出産します。子どもはシェカールの子として女領主が引き取りますが、ワナジャも子どもの側にいたいと仕事に戻ります。
この映画では、ワナジャは漁師の娘であり低カーストです。女領主の息子であるシェカールは、低カーストのワナジャと結婚することはできません。1960年代には、すでにインド憲法は施行されており、カーストにもとづく差別は禁止されています。
しかし、現実では、子どもができても結婚することができないのが当たり前だったのです。そして、子どもの肌の色が黒いのをワナジャのせいにし、差別的なことを言います。肌の色がカーストの指標の1つとして、差別につながっているのです。
さらに、ワナジャが洗濯物を干していると、使用人の少年が、「奥様と同じ並びに服を干すのか?」と言います。ワナジャは、「私とアンタとは階級が違う」、少年は、「へー、上流階級なんだ」と嫌みを言います。洗濯物の干し方に対して、カーストを理由に年下の少年が文句をつけているのです。
しかし、親友のラチは、バラモンの娘ですが、学校では教科書が買えないワナジャに教科書を見せてくれたり、一緒にいたずらをしたり、ワナジャを一生懸命助け、精神的な支えとなります。ラチの父もワナジャと彼女の父を助けます。このラチとワナジャには、カーストは関わりなく、純粋に友人としての関係が成立しています。