日本政界で大きな存在感を誇った石原慎太郎。2012年まで東京都知事を務めた彼の右腕だったのが濵渦武生氏だ。石原都政が断行した東京都のバラマキ体質の矯正について、濵渦氏が盟友である江本孟紀氏と語り合った。※本稿は、濵渦武生・江本孟紀『政治家ぶっちゃけ話「石原慎太郎の参謀」が語る、あのニュースの真相』(清談社Publico)の一部を抜粋・編集したものです。
東京都は軍隊のない
独立政府みたいなもの
――特別秘書に起用された濵渦は石原都知事の腹心として、問題ばかりの東京都政の改革に辣腕を振るっていく。当時の東京都は財政再建団体に転落寸前。石原が就任する前年の1998(平成10)年9月には財政危機の「非常事態宣言」を出すほどだった。
江本 国に対してはっきり意見を言う石原さんの姿勢は、都民から支持を集めるだけでなく、日本中からも注目を集めていきますね。
あのころから石原総理待望論が出てきた気がします。
濵渦 東京都には議会もあって、政策に精通しているたくさんの職員がいます。ないのは軍隊くらい(笑)。いわば独立した政府みたいなものなんです。
当時は小渕恵三政権(1998年7月~2000年4月)や森喜朗政権(2000年4月~2001年4月)、小泉純一郎政権(2001年4月~2005年9月)でしたが、私や石原さんは東京都を、国に対抗できる最大野党にしようと思っていました。
そういう位置づけで新しい政策を打ち出していけば、国にも影響を与えて国の政策まで変えることができるだろうという意識で取り組んでいくことにしましたね。
江本 まさに東京発で日本を変えるという発想ですね。
特別秘書としては、何から取り組んだのですか。
東京中の細かな施設まで
くまなく見て回った
濵渦 政策をつくって、それを実現するには、まず役人を使いこなさないといけません。
そのためには東京都のあらゆるしくみを知らないといけません。だから東京都のたくさんある部局や関連団体を洗い出して、どの部局がどんな仕事をしているのか、毎日のように視察をしました。
特別秘書になってすぐ、部屋の壁全面に模造紙を貼り合わせ、各部局の名前を書き出して、さらにそこから枝を伸ばすように出先機関や関係する外郭団体をズラッと書く。年間どのくらいの予算なのか、どれだけの人員が働いているのか、果たして本当に必要な団体なのか、視察をしながら、逐一あぶり出していきました。