山田は「正田家といえども100年先にはどうなっているかわからない。東宮妃の立場でめったに返事をするものではない」と忠告した。宮中で孤独感に打ちひしがれていた美智子妃は、数少ない信頼する側近の山田の非情なもの言いにショックを受けたという。ただし、当事者の証言がなく、誇張の多い橋本の筆ということを考慮して読むべき話ではある。
「もう子供には恵まれないのでは……」
皇太子夫妻に起きた奇跡
4月22日、宮内庁東宮職は美智子妃に懐妊のきざしがあると発表した。出産予定は12月ごろとされた。美智子妃は前日、裕仁天皇、良子皇后に懐妊したことを直接伝えていた。2年前の胞状奇胎での流産以降、「もう子供には恵まれないのではないか」という声もあっただけに、皇太子夫妻にとって吉報だった。ただ、入江相政侍従の日記には美智子妃がこの日夜に出血したという記述があり、安心はできなかった。
美智子妃は懐妊発表後の初めての公務として、5月4日に新宿のデパートで開かれていた「子どもの本――この100年展」に出かけた。「ベージュ色の帽子、濃いかっ色に白の水玉を散らしたワンピース、左の胸元には純白のバラをつけられた軽装で、なかなかお元気な様子」(同日付け東京新聞夕刊)と、新聞報道は相変わらず公務の本旨よりも服装の描写に余念がなかった。美智子妃はライフワークの児童文学関係の展示を楽しそうに見て回った。美智子妃は翌6月15日にも日本ユネスコ技術教育連盟主催の「第1回児童美術展」を観覧している。
5月5日のこどもの日、横浜の「こどもの国」が開園した。開園式には明仁皇太子が出席した。常に子供に心を寄せてきた美智子妃だが、懐妊中であるため大事をとって同行しなかった。
皇太子は「日本をますます栄えさせるためには、わたくしどもは、つねに一歩先を見ていなければならないと思います。ことに、次の時代をになうこどもたちの幸せをまもり、すこやかにそだてることが、たいせつなことでありましょう。〔略〕自然と人工の調和をおもんずる感覚が、おのずとこどもたちの身についてゆくならば、「こどもの国」の1つの役割は、はたせたといえるでありましょう」とあいさつした。