資金不足などで当初予定より開園が大幅に遅れた「こどもの国」だったが、この日は17万人が押し寄せ、周辺の道路が大渋滞する盛況だった。
庶民と皇室に悩む美智子さまに
とっての安らぎのアジール
夏になり、美智子妃の体調は順調だった。宮内庁は7月1日、出産予定は11月下旬か12月上旬と発表した。同じ日の夕刊で、皇太子一家が毎年避暑で利用している軽井沢の千ヶ滝プリンスホテルを「御用邸に」という話が持ち上がっていることが報じられていた。
「このホテルは、皇太子さまがまだ独身時代のさる〔昭和〕25年から毎夏使われており、一般客の利用は断っている。このように、すでに事実上皇太子さまの“別荘”となっているところから、同ホテルを経営している国土計画株式会社(堤義明代表取締役)が「いっそ、皇太子さまにおゆずりしては……」という意向を示し、宮内庁でも検討することにした」(7月1日付け東京新聞夕刊)
しかし、宮内庁としては無償でもらいうけることはできず、買い上げるにしても皇室の予算上厳しかった。結局、御用邸化の話は立ち消えになったが、同ホテルは以後も皇太子一家の事実上の御用邸として使われていく。皇室内で身の置き所のない美智子妃にとっては、精神的に安らげるアジール(避難所)であった。この年の軽井沢ではサイクリングを楽しむ「皇太子ファミリー」の写真が報じられた。
8月15日は東京・千代田区の日本武道館で戦後20年の全国戦没者追悼式が行われた。裕仁天皇が「終戦以来ここに20年、さきの大戦において、戦陣に死し、職域に殉じ、非命にたおれた人々とその遺族を思い、今もなお、胸の痛むのを覚える」と読み上げた。
前代未聞、週刊誌での皇室論争に
皇太子殿下がまさかの反論
8月の皇太子一家は平穏だったが、そこに波風が立つ。元宮内庁長官の田島道治が14日に良子皇后に会った際、皇后が週刊誌「女性自身」の記事について言及した。24日の田島の日記には「女性自身一寸驚く(略)長官訪問、女性自身の問題」という記述がある。8月9日号に橋本明が寄稿した「兄弟/両殿下への提言」という記事のことで、美智子妃の疲弊の要因である旧勢力に対する批判と彼らが支持した常陸宮の結婚への疑義であった。