ビリー・ビーンが見出した新たな視点「インサイト」とは
さて、話をビリー・ビーンに戻すと、彼は膨大なデータの海の中から、次のような「インサイト」を発見したと言えます。
ここで大変興味深いのは、冒頭にも書いたように、「出塁率」というデータは、野球が始まってからずっとあったにもかかわらず、誰もその有用な「価値」を見出せていなかったことです。コンピューターやインターネットが生まれて、データにアクセスしやすくなるずっと前から「出塁率」というデータは存在していたにも関わらず、です。
インサイトを生む個人の視点
なぜ、ビリー・ビーンは、誰が見ても「価値」を見出せなかったデータから、前述の「インサイト」を発見できたのでしょうか。なぜ、「出塁率」に注目するに至ったのでしょうか。それには、彼の人生で培われた、ビリー独自の「野球観」こそが、大きく影響していると考えられます。
ビリーは、非常に大きな注目を浴びて、ドラフト1位でニューヨーク・メッツに入団しました。しかし、大成せずに選手生活を終えています。彼は入団時に、「野球選手になるか、大学進学をするか」で非常に悩んだ結果、多額の契約金を目の前に、大学進学を諦め、野球選手になったのでした。
彼がスカウトされた一番大きな理由は、大柄な体格や、足の速さや肩の強さといった非常に優れた身体能力でした。しかし、選手として打ち気が勝るビリーは、打てないボール球に手を出すことも多く、四球も極めて少なく、「出塁率」の低い選手でした。その結果、成績もパッとせず、約10年程度で現役生活を引退し、球団のフロント(経営や運営を担当する部署)に入ることになったのです。
ビリーが自分の野球選手経験から身に染みて理解したことは、「選手の成功に大切なのは、従来の野球界のスカウトが重要視する、恵まれた体格や身体能力といったものではないのではないか。選手の成功に大きく影響する要因が、他に何かあるのではないか」という、それまでの「常識・定説」に対する、「気づき・違和感」「疑問・問い」だったのではないでしょうか。
彼の人生経験から独自の「野球観」が生まれたことにより、以前からあったが誰も重要視しなかった「出塁率」というデータに注目して「インサイト」を発見し、有用な「新たな視点」を見出して「価値」を提供し、イノベーションを起こすことができたのです。